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「2人の安藤」が戦った長い夏。
バスケW杯の敗北から持ち帰った物。
posted2019/10/13 09:00
text by
石川歩Ayumi Ishikawa
photograph by
AFLO
4年目のBリーグが開幕した。今夏、13年ぶりに出場したW杯は5戦全敗に終わったが、あの経験から代表選手たちが何を持ち帰ったのか、注目が集まっている。
Bリーグで戦う代表選手たちは、どんな評価も受け入れ、本人たちにしか理解しえない悔しさを胸に、それぞれの答えをコート上で表現しようとしている。彼らのプレーには、そんな覚悟が見えてこないだろうか?
W杯に出場した12選手のうち、安藤誓哉(アルバルク東京)、安藤周人(名古屋ダイヤモンドドルフィンズ)、シェーファーアヴィ幸樹(滋賀レイクスターズ)の3選手は、W杯前に行われた国際招聘試合ウィリアム・ジョーンズカップで結果を出して、国内最高峰の代表(A代表)の座を得た。
サバイバルの末に勝ち取ったW杯のコートで見たのは、どんな景色だったのか? 今回は、2人の安藤の長い長い夏の戦いと、今シーズンのBリーグにかける思いを聞いた。
100%でやっていたら、結果は後から付いてきた。
2人の安藤にとって、今年の夏は戦い続けた日々だった。
6月13日に招集された日本代表第1次育成キャンプから始まり、7月12日からは10日間で8試合を行うウィリアム・ジョーンズカップを戦った。7月25日から日本代表の強化合宿に参加し、8月27日に発表されたW杯最終エントリーメンバー12名に入るまで、チーム内のサバイバルを勝ち抜いた。
安藤周人は、W杯最終メンバーに選ばれた過程をこう振り返る。
「僕は、用意されている舟に乗っていたら、W杯の舞台にいた感覚なんです。昨シーズンは自主練もめちゃくちゃしていたけれど、(名古屋ダイヤモンドドルフィンズに)僕のためのプレーがあって、カジさん(梶山信吾HC)が僕を使ってくれて、僕のいいところをたくさんの人に見てもらえて、それをラマスHCも見て、代表に呼んでくれた。
ジョーンズカップで結果を出せばA代表に上がれると言われていたけれど、選ばれるかもしれないという生半可な気持ちはプレーに出てしまうので、自分のレベルアップのために100%でプレーしていました。最終メンバーに入るまで、自分がW杯の舞台に立つとは想像もしていなかった」
安藤周人「辻さんの代わりに滑り込んだ」
もともと安藤周人は、高校卒業後に土木関係の就職を希望していた。ショベルカーを運転するのが夢だったという。しかし、当時の監督に強く大学進学を勧められて青山学院大学に入学し、2017年にアーリーエントリーで名古屋ダイヤモンドドルフィンズに入団した。
「高校卒業後に就職か進学か考えていたとき、正直バスケはもういいかなと思っていました。社会人で楽しくやればいいかなって。だからもし過去に戻ってあのころの自分に会っても、W杯に出てるよって言わないと思います。想像がつかないだろうから。
僕の家族は全員バスケをしていて、家の前にはリングがあって、子どもの頃から兄が練習するのを邪魔していました。兄のシュートの打ち方を真似しはじめた頃から、外のシュートを打ちたいと思ってきた。W杯のメンバー入りは僕のシュート力を見込まれたと言われるけれど、自分の中では何を評価されて選ばれたのかはっきりしていなくて、迷いながらプレーしていた部分がある。本当にあの場にいてよかったのかなって思うことはあります」
もともと代表でシューターの役割を担っていたのは、辻直人(川崎ブレイブサンダース)だった。しかし、2018-19シーズン終盤に負傷し、全治6カ月の手術を受けることを決め、W杯には出場できなかった。
「辻さんが怪我をしたことはショックでした。できるならW杯で一緒にプレーしたかったし、辻さんならあのコートでどう戦うのか目の前で見たかった。でも辻さんがW杯に出ないなら、もしかしたら僕が代表入りするチャンスがあるかもしれないとも思った。僕は、辻さんが空けたメンバー枠に滑り込んだと思っています。
辻さんは場慣れしているし、怪我をしていなかったらW杯に行ったのは辻さんだと思う。実際にW杯のコートに立てて良かったけれど、僕の代わりに辻さんが出ていたら試合はどうなったのかな、5本以上は決めていたのかなとか、W杯中は自分に何が足りないのかを考えていました」