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早川史哉、1302日ぶりのJリーグ。
白血病から笑顔のカムバック。 

text by

安藤隆人

安藤隆人Takahito Ando

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photograph byTakahito Ando

posted2019/10/07 19:00

早川史哉、1302日ぶりのJリーグ。白血病から笑顔のカムバック。<Number Web> photograph by Takahito Ando

2016年3月以来のJリーグ復帰戦。早川史哉は終始、笑顔を絶やさなかった。

吉武監督に気付かされた武器。

「思考を高める」

 これは彼が昔からよく口にする言葉だ。特に体が大きいわけでもない。特にスピードがあるわけでもない。はっきり言えば、「これ」という分かりやすい特徴がない選手だと言えるが、それを本人はずっと自覚していた。

「U-17W杯(2011年メキシコ大会)で同級生の武蔵、1学年下の南野拓実や中島翔哉、植田直通といった特別な才能を持った選手たちを見てきて、『自分の特徴は何なのか』と迷う時期もありました。その時、吉武博文監督(当時)が『史哉の良さはバランス感覚と、全体の動きを見ることができること。動きながら正確にボールをコントロールするプレーができるから、複数のポジションを質が高くこなせる。そこをもっと伸ばしてほしい』と長所をはっきりと伝えられた。強烈な個性はなくても、組織の1人として機能できる自信が僕を支えてくれた」

 頭脳こそ、自分がプロサッカー選手になるために、プロとしてさらに上に行くために必要な武器。常に周りを見て、状況を把握し、その中で周りの個性と個性を繋ぎ止める役割を高いレベルでこなす。常に自分自身と向き合いながら、思考を高める作業をコツコツと積み重ねていった。

 だからこそ、予想もしなかった事態に追い込まれても、彼が高め続けた思考レベルは落ちることがなかった。

闘病生活で錆びなかった思考。

「これまで思うようにプレーできない日もたくさんありましたし、それこそ(練習に)復帰したての時は何もかもがうまくいかなかった。でも、そこで僕を救ってくれたのは、状況把握と状況判断する力でした。状況は見えているし、これがベストという判断は持てている。体がついてこないだけと割り切ることができた。『コンディションが良くなればできる』と、前向きに考えることができました」

 体は長い闘病生活によって明らかに以前と違う。でも、頭までは錆びついているわけではない。

 これが早川にとって大きな希望の光になった。

 完全復帰に向けての懸命のリハビリを積み重ねてきたからこそ、ビッグスワンのピッチに立つ11人に選ばれることができた。

「病気から初めてベンチ入りした時(J2第28節のファジアーノ岡山戦)も、試合に出ることはありませんでしたが、今までスタンドから見ていた景色を目の前にしたことで、僕の思考は高まった。ベンチ入りを重ねるにつれて、『出たらこうしよう』、『この局面でこのポジションだったらどういう選択肢があって、何を選択するか』まで考えが至るようになった」

【次ページ】 復帰戦がゴールではない。

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