“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
早川史哉、1302日ぶりのJリーグ。
白血病から笑顔のカムバック。
posted2019/10/07 19:00
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph by
Takahito Ando
笑顔の復活だった。
早川史哉が1302日ぶりにJリーグのピッチに帰ってきた。
早川は筑波大学から2016年にアルビレックス新潟に加入。ルーキーイヤーからいきなり開幕スタメンを掴むなど、順風満帆なプロ生活をスタートさせた。しかし、白血病という恐ろしい病魔に襲われた。サッカー選手という、一度は叶えた目標を手放さなければならないところまで追い込まれた。それでも、彼は心折れることなく、情熱を消すことなく、想像を絶する過酷な治療とリハビリの日々を経て、復活の日を迎えた。
J2第35節のホーム・鹿児島ユナイテッドFC戦。リーグ戦は2016年3月12日の横浜F・マリノス戦以来の出場だった。カップ戦を含めると同年3月27日ルヴァンカップのサガン鳥栖戦以来、1287日ぶりの出場だった。
突然の白血病発表から約3年半。公式戦のピッチ上にいる背番号28に、新潟サポーターたちは誰よりも大きな声でコールし、チャントを歌った。
「ずっとこの景色を見るために、ここでプレーするために闘病生活をやってきたと言っても過言ではなかった」
生粋のアルビレックスっ子。
新潟生まれ、新潟育ち。中学1年から高校3年まで下部組織で育った生粋のアルビレックスっ子だ。そんな彼にとって、プロとして立つビッグスワンのピッチは特別だった。
「アップの時に、やっぱりチラチラとスタンドや周りを見てしまいました。チャントもコールも聞こえていて、いろんな思いが次々とこみ上げてきて、ちょっと平静を保つことが難しかった。でも周りに緊張しているなとか、気持ち高ぶっているなと思われたくなかったので、普通な顔をして我慢しました」
こみ上げてくるものを必死で堪えるために、彼が見せたのは笑顔だった。アップのためにピッチに飛び出して行くときも、ゴール裏のサポーターへ投げたサインボールが届かなかったときも、集合写真を撮るときも、彼はずっと笑顔だった。