One story of the fieldBACK NUMBER
だんじり祭りよ、どうかそのままで。
反時代的だからこそ守れるものを。
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byTakashi Shimizu
posted2019/09/22 19:00
自分たちが時代に逆行していることなど百も承知である。しかし、金にも「いいね!」にも替えられないものが、そこにはあるのだ。
社会の理屈ではなく、祭り男の理屈。
筆者が入った漁師町の若頭では、50を前にした会社経営者が、先輩に怒鳴られる。
「お前がどんなに偉なっても、どんだけ稼いでもな、ここでは俺が1コ上や! ややこしい奴はいつまでもややこしいで!」
幼い頃の人間関係、中学時代の上下がずっと続いているようなものだ。
煩わしい。そう思う人もいるだろう。だから、この町を出て行く人も多い。ただ、地縁の煩わしさから逃れ、都会に出て自由を手にした人たちが、40代や50代になって孤独を抱えている時、祭り男たちは相変わらず、怒鳴り合い、笑い合い、永遠の同窓会をしている。
だんじりを走らせるためなら、ガードレールも外すし、信号の高さだって変える。警察の立ち入りを許さず、このご時世にスポンサーもつけず、警備もカネ集めも自前でやる。
携帯電話で共有できることだって、わざわざ顔を突き合わせて話し、やらなくたっていい喧嘩をする。渋沢栄一も、スティーブ・ジョブズも関係ない。社会の理屈ではなく、この町の、祭り男たちの理屈で生きている。
「祭りがあるからこの町は発展せえへん」
さすがに少子化に合わせて、未来の祭りの担い手である少年団の育成に力を入れているし、温暖化に合わせて熱中症対策はしているが、相変わらず高校生以上は女人禁制だし、高校野球で登板過多が問題となる中、青年団はぶっ倒れるまで綱を曳いている。
根本的な価値観を300年前から変えることなく、令和元年を迎えている。
「祭りがあるからこの町は発展せえへん。新しいことをやろうとしても、また元に戻すし。議論にならへん。でもな、都会にいった奴らが絶対に味わえんもんを俺等は味わってるで」
企業では、管理職が新人へのパワハラ問題に戦々恐々としながら、強面を必死に柔らかくしているというのに、それに比べれば祭りを取り巻く人間模様は明らかに反時代的だ。
少なくとも筆者が接した人たちからは、時代の流れとか、今時の若者の価値観とか、そういうものに合わせようという空気を感じたことはない。
「だって誰かに見せるためにやってんちゃうし、おいらはおいらのために祭りやってんやし」
だからこそ祭りであるのだろうと思う。