“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
ベンチ外、J3も経験した田中亜土夢。
劇的ミドルの裏にあった葛藤と自信。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2019/09/17 19:00
J1第26節浦和戦、緊迫した展開の中で投入され、決勝ゴールを奪った田中亜土夢。昨季苦しんだベテランがACL出場権を狙うチームに大きく貢献した。
常にチームに中心にいた田中。
もともと彼は「スーパーサブ」というキャラクターの選手ではなかった。
2006年、前橋育英高校から生まれ育ったアルビレックス新潟に加入。新潟ではプロ1年目からコンスタントに出番を得て、U-20W杯カナダ大会にも出場した。新潟では6年目から不動のレギュラーの座として活躍した後、2015年にさらなる飛躍を求めてフィンランドの名門・HJKヘルシンキへ移籍。そこでも10番を任され、3年間主軸としてプレーした。
田中が持つ技術とアタッキング能力は、試合スタート時から出場することで生かされてきた。つまり、これまでの所属チームでは常に攻撃の中心として牽引する存在であったのだ。
しかし、2018年にC大阪に移籍後は、その地位は無くなった。
「(フィンランドで3シーズン過ごした後)他の国に移籍も考えましたが、オファーがなかった。『フィンランドは(ヨーロッパの市場に)見られていないな』と痛感したし、その中でセレッソが真っ先にオファーをくれた。でもセレッソのサイドハーフにはキヨ、宏太、曜一朗、高木俊幸、福満隆貴(現・水戸ホーリーホック)と実力者が揃っていて、厳しい競争が待ち受けているのもわかっていた。ただ、ここで新たな挑戦をするのも自分にとって重要なことだと思い、決断しました」
ベンチ外、J3の舞台も経験。
厳しい立場になるのは覚悟の上で、Jリーグの舞台に戻ってきた。だが、実際に昨シーズンはスタメンで出られないことはおろか、ベンチ外の試合も多く、リーグ戦出場数もキャリアの中で2番目に少ない6試合。想像以上に苦しいシーズンを過ごすこととなった。
「現実を突きつけられた。苦しかったのは間違いないけど、絶対にここで腐ってはいけないことだけは分かっていた。常に良い準備をして、チャンスがきた時にどれだけ結果を残せるか。それをずっと自分に言い聞かせていた」
昨年9月にはU-23チームの一員としてJ3リーグも経験。彼のキャリアの中で初の1部リーグ以外でのプレーだった。それ以降も試合に出れない日々は続き、ベテランにとっては心が折れそうな時もあった。それでも田中は、自分がやるべきことを見失わなかった。