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“テコンドーの貴公子”鈴木セルヒオ。
「惜しかった奴」が東京五輪へ!
posted2019/09/17 11:00
text by
布施鋼治Koji Fuse
photograph by
Naoki Nishimura/AFLO SPORT
「メキシコへ練習に行ってスペイン語を喋った時には『あれ?』という顔をされました。イタリアのコーチには『なぜイタリア人の名前なの?』と聞かれました。もしかしたらイタリアがルーツの名前なのかもしれない」
テコンドー男子-58kg級の鈴木セルヒオ(東京書籍)は日本人の父とボリビア人の母の間に生まれたハーフだ。神奈川県生まれだが、5歳で家族とともにボリビアへ。翌年、3歳上の兄とともに足を運んだ様々な格闘技をやっていた大きなジムでテコンドーと出会う。
「テコンドーが楽しいというより友だちと遊べる方が楽しかったのかも」
その後、中学生にしてシニアの全国大会で優勝するなど、ボリビアでは“テコンドーの神童”として名が通っていた。
そんな息子の活躍を目の当たりにした両親はテコンドーの本場・韓国への留学を勧めた。セルヒオは日本を飛び越え韓国へ渡った。
セルヒオ「あの時は心が折れていた」
「韓国にはテコンドーが強い国というイメージがあった」
一度も下見をすることなく、ソウルにあるテコンドーの名門・漢城(ハンソン)高校へ。プライドはズタズタに切り裂かれた。
「ボリビアでは一番だったけど、韓国ではオモチャのように弄ばれました。いかに自分がレベルの低いところでやっていたのかと痛感させられました」
ボリビアに帰りたかった。セルヒオは「あの時は心が折れていた」と振り返る。
「テコンドーを嫌いにはならなかったけど、自分に失望していました」
チームの中でのポジションはずっと補欠だったが、日々揉まれ続けたおかげでセルヒオは少しずつ成長していく。
「ずっと練習ばかりしていましたからね。でも、気持ちは下がっていたので楽しめていなかった」