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名レフェリーが同期と試合を。
梅木よしのり、25年目の“デビュー戦”。

posted2019/09/19 18:00

 
名レフェリーが同期と試合を。梅木よしのり、25年目の“デビュー戦”。<Number Web> photograph by PANCRASE

5月には同期・近藤有己の試合を裁いた梅木。今度は選手として伊藤崇文と対戦する。

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橋本宗洋

橋本宗洋Norihiro Hashimoto

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PANCRASE

 格闘技ファンなら、梅木よしのりの姿を一度は見たことがあるだろう。

 パンクラス所属のレフェリーでありK-1、Fighting NEXUSと合わせ3団体の審判部長。またアジア各国でイベントを開催するONE Championshipでも試合を裁く。全国のローカル大会も含め、毎週何かしらの格闘技大会に審判員として携わっているという。日本を代表する格闘技レフェリーと言っていいだろう。

 梅木はごくごく稀に、選手として試合をすることもある。2004年にグラップリングマッチ、2007年にはロープエスケープありの“UWF系”ルールでZSTのリングに上がった。今年5月には、主催者に誘われて柔術の大会『パンクラスカップ』に出場。そして9月21日は『ハードヒット』(新木場1st RING)のグラップリングマッチで伊藤崇文と対戦することになっている。

「やっぱり、もともと選手になりたかった人間ですから。久しぶりに『パンクラスカップ』で試合をして、また機会があればなと思ってたんです。そんな時に『ハードヒット』の話をもらって」

パンクラスの新弟子からレフェリーに。

 パンクラスの古参ファンにはよく知られた話だが、梅木はかつてこの団体の練習生だった。1993年に旗揚げしたパンクラスの、第1回入門テスト合格者なのである。高校3年の夏休みにテストを受け、翌年の春に入門した。同期は、のちにトップ選手となる近藤有己、渋谷修身、そして伊藤だった。伊藤とは部屋も一緒だったそうだ。

 船木誠勝、鈴木みのるが中心となって作られたパンクラスは、UWFの流れをくんで“21世紀のプロレス”を標榜していた。梅木たちももともとプロレスファンだったし、入門するとプロレス団体の新弟子としての生活を送った。道場の掃除をし、練習し、先輩に揉まれ、ちゃんこを作って食べる。そういう生活だ。同期の絆は、自然に強くなった。

 梅木が選手ではなくレフェリーになったのは、スパーリング中に倒れたことが原因だった。脳内出血。開頭手術は免れたが、激しい打撃のあるパンクラスの試合は無理だと判断された。そこで団体が提案したいくつかの進路の中から、梅木が選んだのがレフェリーだった。「違う形であれリングに上がりたかった」と梅木は言う。結果、彼はパンクラスの生え抜きレフェリー第1号となった。

 レフェリー修行も、やはりパンクラスの道場で行なうことになった。

「新人の指導を担当していた鈴木さんに、もう一回合宿所に戻れと言われまして。道場で選手のスパーリングをレフェリングするんです。時々、鈴木さんが選手に耳打ちをすることがありました。こっそり反則をさせるんですよ。それを僕が見抜くための練習で」

【次ページ】 相部屋だった伊藤崇文との対戦、その心境は。

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