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坂本勇人が見せてくれた理想の巨人。
一流から超一流、そしてスペシャル。
 

text by

中溝康隆

中溝康隆Yasutaka Nakamizo

PROFILE

photograph byNanae Suzuki

posted2019/09/14 09:00

坂本勇人が見せてくれた理想の巨人。一流から超一流、そしてスペシャル。<Number Web> photograph by Nanae Suzuki

坂本勇人が、2000本どころか3000本安打の可能性すらある球史に残る選手であることはもっともっと知られていい。

FA移籍してきた丸との理想的な関係性。

 今季の巨人と坂本を語る際、やはりFAによる丸佳浩の加入は大きかった。坂本のイメージは明るくやんちゃなモテ男だが、グラウンド上において坂本はずっと孤独、いや孤高だったように見えた。

 弱冠19歳でレギュラー定着。阿部慎之助とは10歳、サカチョーコンビと呼ばれていた現カープの長野久義とだって4歳違う。坂本と年齢が近い野手たちは、ほとんどが伸び悩み一軍定着することなくチームを去った。

 それが、今季から1学年下の丸佳浩の加入で初めて「同世代のライバル」に恵まれたわけだ。無人島に流れ着いたと思ったら仲間がいた。しかも誕生日の関係で背番号6と8はともに現在30歳である。

 部活でも会社でも合コンでも、先輩に負けても別にそこまで悔しくない。経験値が違うし諦めもつく。それが同世代となると話が違ってくる。だって言い訳がきかないから。同時代を生きた歳の近い後輩の存在はなによりも刺激になる。

「3番センター丸」がいることにより前を打つ2番坂本の負担は軽減され、序盤はなかなか数字が上がらなかった若き4番岡本和真も批判にさらされることはなかった。結果的に、丸は坂本をサポートし、岡本を守ったのである。

 これずっと長野さんにやってほしかった役割だよな……じゃなくて、まさにFA転職で加入した理想の中間管理職プレーヤー。

 ついでに東京ドームで販売する丸のホームランミートピザもマジで美味い。ベンチでメモ帳片手に丸が坂本と話し込む姿も今シーズンよく見た光景だ。

丸は坂本の「最後のピースだった」。

 平成の巨人を支えたあの松井秀喜と高橋由伸のMT砲を思い出してほしい。

 松井が自身初の40本塁打の大台をクリアしたのは1999年。春先から当時プロ2年目の高橋由伸が三冠王も狙える勢いで打ちまくっていたシーズンである。この時、初めてゴジラは後輩の背番号24をはっきりライバルとして認識したという。

 そして、松井と由伸も「1学年差」の刺激し合えるコンビだった。歴史は繰り返される。丸佳浩の入団で、ついに坂本にとって唯一足りなかったピースが埋まったのだ。

「同世代のライバル」という最後のピースが。

【次ページ】 坂本と丸がいるからこそ周囲も光る。

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