酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
混戦のパに「最強の最下位」誕生か。
交流戦、CSがある限り勝率は上がる?
posted2019/09/14 11:40
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph by
Kyodo News
令和最初のシーズンも最終盤、両リーグともにまだ優勝が決まっていないが、とりわけ今季のパ・リーグはデッドヒートが続いている。
そんなパ・リーグでは「最強の最下位チーム」が誕生する可能性があるのをご存知だろうか?
最下位球団と言えば、一般的には「負けっぱなし」の印象があるだろうが、今季、最下位争いをしている日本ハム、オリックスは.450前後。ざっくり言えば、上位チームよりもちょっと負けが多い程度なのだ。
NPBが2リーグに分立した1950年以降の最下位チームの勝率を調べてみた。差は1位とのゲーム差。カッコ内は監督。
まずは勝率ワースト5傑から。
1958年 近鉄パールス
130試29勝97敗4分 率.239
(加藤久幸)49.5差
1955年 大洋ホエールズ
130試31勝99敗0分 率.239
(藤井勇)61.5差
1954年 大洋松竹ロビンス
130試32勝96敗2分 率.250
(永沢武夫)55.0差
1961年 近鉄バファロー
140試36勝103敗1分 率.261
(千葉茂)51.5差
1970年 ヤクルトアトムズ
130試33勝92敗5分 率.264
(別所毅彦→小川善治)45.5差
玉砕ばかりのパールス、マケルトアトナイズ。
1958年は引き分けを0.5勝0.5敗としていたため、1955年の大洋と同率になっている。両チームは4試合で3試合以上負けるペース。これは弱い。
1961年の近鉄は唯一100敗している。近鉄は1958年まで球団名がパールスだったが、非常に弱くて「玉砕ばかりのパールス」と言われた。上手いこというものだ。そこで「猛牛」の異名を持つ名選手、千葉茂を監督に迎え、チーム名も「バファロー」と改めた(当時は「ズ」がつかず)。しかし千葉茂をもってしてもチーム力は上がらず、100敗を喫したというわけだ。
ワースト5のうち4つはドラフト制度が導入される1965年より前。リーグの戦力格差が大きかった時代だ。
ドラフト導入以後のチームでは1970年のヤクルトが唯一ワースト5にでてくる。監督の別所毅彦はこのシーズン2度めの11連敗中の8月18日に解任された。スポーツ紙には、深々と白髪頭を下げる別所監督の写真がでかでかと載った。それからしばらくして『魔法使いチャッピー』というテレビアニメで「マケルトアトナイズ」というプロ野球チームが出てきたのを覚えている。私は別所の顔が浮かんだ。結構な衝撃だった。