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武藤敬司56歳、どう生涯現役を貫く?
挑戦し続ける“サイボーグ化”した体。
posted2019/09/03 19:00
text by
原悦生Essei Hara
photograph by
Essei Hara
武藤敬司が9月1日、横浜文化体育館で1年半ぶりに「WRESTLE1(W-1)」のリングに上がった。武藤が新日本プロレスで1984年10月、蝶野正洋を相手にデビューしてから35年の歳月が過ぎようとしている。
武藤は昨年、両ヒザに人工関節を組み込む手術をした。今では普通に歩くことができる。そして、リングに上がって戦うこともできる。それなのに、できることなら階段は使いたくない、という。エレベーターがあれば武藤の視線はすぐにそれを捕らえて、エレベーターのボタンを押してしまうのだ。
それを武藤は、後楽園ホールの5階の試合場から4階の控室へ降りるときでも、思わずやってしまう。習慣化したその動きは人工関節を付けた今でも変わっていない。
武藤は6月26日の長州力の引退試合で復帰、それから2カ月のインターバルで8月30日に後楽園ホールで行われた「プロレスリング・マスターズ」にも出場したから、この横浜は復帰3戦目となる。
テーマがないと気持ちも体も動かない。
「毎日、普通の試合に出るのはきついんですよ」
武藤はポツリと言った。
団体のシリーズに出て、連戦を続けるというスタイルは精神的につらいというのだ。「気力で戦っているから」テーマがないと気持ちも体も動かない、というのが現状のようだ。
「(マスターズから)中1日の試合で正直、横浜まで来る道のりは、体が重かった。でも、リングに上がったら、TARUに挑発されて一気にアドレナリンが出た。35周年の試合をいい形で終わることができました」
武藤はカズ・ハヤシ、ペガソ・イルミナルと組んで、全日本プロレス時代に戦ったブードゥー・マーダーズのTARU、ゾディアック、近藤修司と6人タッグマッチで戦った。TARUに苦しめられた武藤だったが、エルボードロップやドラゴンスクリュー、足4の字固めも披露して、最後はヒザ蹴りシャイニングウィザードでゾディアックを仕留めた。