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表の顔はキング、裏ではボス。
ハーリー・レイスを偲んで。
~プロレスビジネスの超大物~
posted2019/09/06 07:00
text by
門馬忠雄Tadao Monma
photograph by
AFLO
ポスト上段からのダイビング・ヘッドバット、ジャイアント馬場を痛めつけたパイルドライバー、豪快なブレーンバスター。あの昭和プロレス血風録を彩った大技が忘れられない。
「ミスタープロレス」と呼ばれたアメリカを代表するレジェンド、ハーリー・レイスさんが日本時間8月2日、肺がんの合併症で亡くなった。76歳だった。
「俺より若いじゃないか!」
筆者との出会いは1968年2月、日本プロレスに初来日のとき。半世紀に及ぶ長い付き合いだ。アメリカでのテレビ取材では、大変お世話になった。残念でならない。
レイスはミズーリ州セントルイス育ち。腕っぷしが自慢で喧嘩が強く、カーニバル・レスラーとして15歳でプロデビューしたのだから、半端ない。NWA設立者のサム・マソニックに可愛がられ、ドリー&テリー兄弟の父親ドリー・ファンク・シニアに師事。フロリダ州タンパの大物プロモーター、エディー・グラハムのもとで修行を積み、プロレスの最高峰NWA世界王座を8度戴冠。'70年代前半から日米のマットを股にかけて大暴れした名物男だ。表の顔は、プロレス界のキング。裏の顔は「あいつに睨まれたら食っていけない」と周囲から恐れられる、プロレス・ビジネスにおけるボスだった。