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大迫傑をよく知る後輩が語る、
なぜ、彼は強くなったのか。 

text by

林田順子

林田順子Junko Hayashida

PROFILE

photograph byShota Matsumoto

posted2019/08/30 18:00

大迫傑をよく知る後輩が語る、なぜ、彼は強くなったのか。<Number Web> photograph by Shota Matsumoto

大迫傑は個人主義者である。それでも彼の大学時代の姿は、チームメイトたちに好意とともに記憶されていた。

アメリカでの経験で練習方法が一変。

 自分の信念を持つ大迫の練習方法が大きく変化したのは、大学時代にナイキ・オレゴン・プロジェクトを見学したあとだと2人は口を揃えた。

「一番変わったのは筋トレを始めたこと。それまでは基本的な体幹トレーニングしかしなくて、補強も絶対やらないタイプだったんですが、アメリカから帰ってきたらマシンを使ってしっかりと筋トレをするようになっていました。あとは走行距離が長くなりましたね。早稲田では1日の記録を各選手がつけていて、1週間、1カ月でトータル何km走ったかというのが張り出されるんですね。大迫さんはそんなに走っているタイプではなかったんですけど、アメリカから帰って、最後の年は、上位に多く名前が入っていて。ジョグの時間が長くなっていたり、そういうのも変わっていましたね」(高橋)

 とはいえ、オレゴンでどんな練習が行われているのかを具体的に伝えることはなかった。

「例えば『スピードを重視するチームだと思われているけれども、長い距離も走っているよ』とか、端的な話はしてくれましたけど、具体的なメニューについて話すことはありませんでした。だから、周りもオレゴンではああいうことをしているのかと見て、感じながら、自分でも取り入れていく。大迫さんの背中を見て感じ取るしかなかったですね」(岡田)

「ただそれを他の選手が真似しようとすると、だいたい怪我をしていくんですけど(笑)」(高橋)

個人主義だった大迫が、キャプテンとして。

 4年生となり、大迫はチームのキャプテンに就任した。本人は「キャプテンは象徴みたいなものです。よくキャプテンが替わったらチームが強くなったとか言いますけど、誰かに言われた程度で強くなることなんてないし、言われたからやると言うのではダメ」と語っていたが、周囲は大迫のキャプテンとしての務めをしっかりと見ていたようだ。

「それまでの大迫さんは、どちらかというと個人主義。それが4年生で主将になったことですごくチームのことを考えていることが伝わるようになりました。当時、すでに大迫さんは基本的にアメリカで練習をしていたんですけど、仲の良かった田中鴻佑さんと頻繁に連絡を取って、チームは今どういう状況なのかと確認をしていたようです。1年生なんて知らないという人だったのが、徐々にチーム全体を把握するようになっていきましたね」(高橋)

「大迫さんがキャプテンになった年は大学4年間で一番厳しかったと思います。それまでの早稲田大学ってすごく自由な気質で、他の大学から比べると少ないと思うんですが、月間走行距離を700km走っている選手ですら1人か2人しかいなかったんです。それを大迫さんは、月間の走行距離を決めたんですね。そうすると疲れていても、足りないとやっぱり走るしかない」(岡田)

 練習内容だけではない。競技や練習への向き合い方についても、大迫は厳しい目を向けていた。

「例えば、ジョグの日は個人で自由に行なっていたんですけど、大迫さんがキャプテンになってからは、だらけることがないように集団で走るようになりました。それまで早稲田って他の大学に比べて自由度が高かったんですが、大迫さんがキャプテンになって、緩んでいたものを少しずつ締めていったという感じです」(高橋)

【次ページ】 箱根に興味はなくとも、仲間と一緒に。

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