プロ野球亭日乗BACK NUMBER
「右脇に女性を抱くように待て!」
巨人・ゲレーロを復活させた名伯楽。
posted2019/08/30 15:40
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph by
KYODO
長嶋茂雄監督(現終身名誉監督)が巨人の指揮を執っていた1990年代前半から中盤にかけて、投手コーチとして投手陣を仕切っていたのはV9時代のエース・堀内恒夫さんだった。
ペナントレース最終戦で同率の中日と激突した「10・8決戦」では、先発に槙原寛己投手を起用し、中継ぎの斎藤雅樹投手を挟んでクローザーの桑田真澄投手につなぐという三本柱継投の原案を考えたのも堀内さんで、ローテーションの組み立てや試合中の継投など投手起用で長嶋巨人を支えたコーチである。
その堀内さんが自分の“片腕”として頼りにしていたのが、サブコーチの宮田征典さんだった。宮田さんは現役時代にはV9巨人でリリーフとして活躍。試合の終盤、時計の針が8時30分を指す頃にマウンドに上がることから「8時半の男」と呼ばれ、先発完投が当たり前だった当時の日本球界で、クローザーの元祖となった人物である。堀内さんより年齢は9つ上だったが、長嶋巨人ではサブコーチとして堀内さんを支える存在だった。
メカニカルな部分を見るのも役割。
「宮田さんは選手の技術を診て悪いところを修正できる力があるからね」
当時、2人の役割分担を聞いたときの堀内さんの言葉が記憶に残っている。
「選手が技術的に狂ったり、調子を落としたときに、宮田さんと2人で意見を言い合ってどこがおかしいのかを見極めて的確に指摘して直せる。そういう“修理屋さん”として宮田さんみたいな人は貴重なんだよ」
担当部署の選手のマネジメントをするのもコーチの仕事だが、同時にメカニカルな部分を見るのもコーチの大きな役割だ。ただ、それができる人はコーチの中でも非常に限られているのが、実態なのである。
特に二軍となると技術的にまだ未完成な選手がほとんどで、彼らを一人前に育て上げるのは、ファームコーチの最も大切な仕事だ。そして同時に、不振で二軍に落ちてきた選手に的確にアドバイスを送って再生し、再び一軍の戦力として送り出せるか。こちらは技術的にはある程度出来上がっている選手が相手なので全てをいじるわけではない。ワンポイント的なアドバイスで、どこまでその選手が力を発揮できる形にするのか。そういう“修理”も二軍のコーチたちに託された大きな役割の1つだろう。