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ベルマーレのサッカーは生きている。
監督不在を感じさせない哲学の貫徹。
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph byGetty Images
posted2019/08/19 15:30
ベルマーレのスタイルは、簡単にはなくならない。それを示すような鳥栖戦だった。
ベルマーレのサッカーは生きている。
ここから先の時間帯はスリル満点だった。
決定機と呼べるような場面を、立て続けに生み出したわけではない。それでも、気持ちの矢印を前へ向けた11人が、鳥栖のゴールへ襲いかかっていく。
21節の鹿島アントラーズ戦、22節のジュビロ磐田戦で3-2の勝利をあげてきた事実が、選手はもちろんファン・サポーターにも力を与えている。
“湘南スタイル”とか“ノンストップフットボール”と呼ばれるベルマーレのサッカーは、2012年から采配をふるう曹監督のもとで形作られてきたものである。
試合開始から試合終了まで足を止めず、全員が攻撃にも守備にも関わるサッカーは、50歳の指揮官が課してきた妥協のないトレーニングが裏付けになっている。
2009年の反町監督就任が契機だった。
そのうえで言えば、土台はもっと以前から固められてきたものだ。
2000年に初めてJ2へ降格したベルマーレは、加藤久、田中孝司、サミア、山田松市、望月達也、上田栄治、菅野将晃を監督に迎え(代行も含む)、J1復帰を目ざしていった。
チームは少しずつ地力を蓄えていきながら、並行してアイデンティティと呼べるものを探していった。親会社を持たない市民クラブが地域と共生していくために、勝敗を超えた魅力を提供することに着目したのである。
アイデンティティの萌芽は2009年に訪れる。クラブのOBでもある反町康治が監督に就任し、「対戦相手がうざいと思うほど仕掛けるチームを作る」と宣言する。
“湘南の暴れん坊”と呼ばれたJリーグ黎明期を現役として過ごした反町は、ペナルティエリア内に4人、5人と飛び込んでいく攻撃的な姿勢を徹底し、同年にJ1昇格を勝ち取った。
イビチャ・オシムのもとで日本代表コーチを務めた反町のサッカーは、のちのアルベルト・ザッケローニが持ち込んだインテンシティ、さらにはヴァイッド・ハリルホジッチが強調したデュエルを落とし込んだものでもあった。