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アメリカ名門大学での陸上と勉強。
岡田健が体感した部活の日米差。
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph byHideki Sugiyama
posted2019/08/21 18:00
アメリカ屈指の名門大学で学ぶとともに陸上部に在籍した岡田健。競技から社会人生活へと移行する。
公立校の部活は本当に運次第だ。
ところが、新設のあかね台中には、神奈川の中学陸上では有名な田奈中から、陸上部でアシスタントコーチを務めていた先生が赴任してきた。
「あかね台ではいくつか恵まれていたことがあり、まず、校庭の砂がフワフワしていたんです。砂浜とまではいいませんが、走るには力が必要な校庭で、ここで脚力は鍛えられましたね。そして先生がスピード練習を重視していたことで、中2で培った土台にスピードがうまくプラスされました。先生は自費でミニハードルを購入されたり、指導に情熱を持たれていました」
岡田は春から夏にかけ、毎週のように自己ベストを更新。2011年8月に行われた全中の1500mでは4分3秒37で6位、3000mでは8分46秒25で7位と両種目で入賞する。
ちなみにこの時の3000mの優勝者は坂口裕之(諫早→明大→住友電工)、出場した選手の中には、MGCに出場予定の堀尾謙介(須磨学園→中大→トヨタ自動車)、青学大で主将を務めた森田歩希(竜ヶ崎一→青学大→GMOアスリーツ)などがいる。
岡田の中学時代を振り返ってみると、たまたま出会った2人の先生によって、全国レベルの選手へと成長していたのである。中学時代にどんな先生とめぐり会うかによって、選手の人生は大きく左右される。
反対に、先生とめぐり会うことができず、才能を開花できなかった選手もいる。
日本の公立校の部活動は、本当に運次第だ。
「自由」があった国学院久我山時代。
実績を残した岡田は、東京の国学院久我山高校へと進む。
「部活だけでなく、勉強も頑張りたいと思っていたので、久我山を選びました。ただし、通学に100分くらいかかってたんですよ。久我山は朝練習がありませんが、朝は5時半に起きて6時過ぎには家を出て、帰宅も夜8時ころ。3年間、よく続けられたと思います」
久我山には「自由」があったという。朝練もなく、自分の考えでジョグの量やスピードを調節することもできた。丸刈りを強制するようなチームとは程遠く、スタイルが岡田に合っていた。