甲子園の風BACK NUMBER
高校野球史上最高の投手なのか……。
佐々木朗希を江川卓と比較してみた。
text by
太田俊明Toshiaki Ota
photograph by(L)Kyodo News/(R)Asami Enomoto
posted2019/08/15 11:50
写真左は、1973年の夏の甲子園。対銚子商戦での江川卓の投球フォーム。右は岩手県大会での佐々木朗希。
バットに当てることすらできない投手!?
江川は、3年の春と夏の2度甲子園に出場している。その際の日本中の注目と熱狂は、私の知る限り、甲子園史上最高のものだった。
栃木県に規格外の投手がいる。点をとることはおろか、バットに当てるのすら至難の業で、三振の山を築いている——。その噂は野球ファンの間に流れてはいたが、令和の現代のように、テレビやネットで簡単に実際の投球を見ることはできなかった。
多くの人がその目で怪物・江川を目撃するには、昭和48年、作新学院3年になった江川が春の選抜にたどり着くのを待たねばならなかった。
36イニング連続ノーヒットノーラン。
春の選抜初出場に至る江川の高校2年の夏から秋にかけての成績は、ほとんど信じられないものだ。
まず、夏の甲子園を目指す栃木県予選。2回戦から登場して、この試合でノーヒットノーラン、中1日置いた3回戦は完全試合、そこから中2日の準々決勝もノーヒットノーラン。連戦となる準決勝にも先発して、9回までノーヒットノーラン。なんと、大会が始まってから準決勝の9回まで、36イニング連続ノーヒットノーランである。
真夏の7日間に4試合を投げ抜いてきた疲労もある中で、1本のヒットも打たれないなど常識では考えられない。
どんな剛球でも前に飛ばないわけではない。前に飛びさえすれば、当たり損ねの内野安打や、内野の頭をふらふらと超えるテキサスヒットくらい普通は出るものだ。
それすら皆無だったのは、江川の投球が打者を圧倒し尽くし、まともな打球がほとんど飛ばなかったことを意味する。
もし、貧打の作新学院打線が、この準決勝の9回までに1点でも取っていれば、この夏の江川は初戦から4試合連続ノーヒットノーランで決勝進出という空前絶後の記録を作っていたのだ。
結局、味方打線の援護がないまま延長11回にヒットのランナーをスクイズで返され、0−1のサヨナラ負け。さすがの怪物も38イニング目で力尽き、甲子園には届かなかった。
因みに、この大会で江川が奪った三振は、37回2/3を投げて61個、奪三振率14.6。アウトの半分以上が三振だった。