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アルディレスもハリルも信頼した男。
浦和・羽生通訳の5カ国語“操縦術”。 

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杉園昌之

杉園昌之Masayuki Sugizono

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photograph byMasayuki Sugizono

posted2019/08/13 11:30

アルディレスもハリルも信頼した男。浦和・羽生通訳の5カ国語“操縦術”。<Number Web> photograph by Masayuki Sugizono

エヴェルトン(右)と肩を組む羽生通訳。現在は浦和でブラジル人選手のサポートを担当している。

ポルトガル語も英語も現場で習得。

 当時、羽生氏が話せたのは日本語とスペイン語だけ。しかし、翌年の'97年からはポルトガル語の通訳もサポート。ブラジル人選手たちの話している言葉を耳で聞き、覚えたのだ。スペイン語と似ていたこともあるが、「理解しようとする気持ちが大事です」としみじみと話す。

「知らない言語は最初、すべてつながって聞こえると思います。でも、耳で聞いた言葉を活字で確認すると、どこで切れるかが分かってきます。次は単語を覚えるんです。そして、文法をおさらいします。すると、話せるようになってきます」

 英語も同じ要領でものの数年で覚えてしまう。子どもの頃から塾で学び、ハイスクールの授業で勉強したが、実戦で学ぶ語学は全く違った。当時、清水のコーチングスタッフ同士の会話は主に英語。自然と耳に入り、使う機会もあった。'98年途中でコーチだったイングランド人のスティーブ・ペリマンが監督に昇格すると、本人から英語の通訳を直接頼まれた。

「英語がまだ完璧ではないのは分かっているが、私の言葉が通じているのは分かる」と。4カ国語を操るようになった通訳は、ペリマン退任後も清水でブラジル人の選手、スタッフのサポートを続けた。'03年からは東京ヴェルディで再びアルディレス監督、'06年はベガルタ仙台でブラジル人のジョエル・サンタナ監督、'08年はジュビロ磐田でオランダ人のハンス・オフト監督の下で働いた。

『ゼロからのフランス語』と、にらめっこ。

 環境の中で自然と習得してきた外国語もある言語だけは苦労した。ハイスクール時代のトラウマがなかなか消えなかったからだ。ある日、留学生のベルギー人と会話する機会があり、授業で習っていたフランス語でコミュニケーションを図ろうとしても、全く通じなかった。

「あのとき、私はフランス語ができないんだと思いました。あれ以来、ずっと遮断していたんです」

 それでも、日本サッカー協会で仕事をする上で必要に迫られた。アギーレの退任にともない、フランス語を使うハリルホジッチ監督が就任。通訳を介して煩雑な作業をするよりも、自分で語学を覚えるのが手っ取り早かった。耳で学ぶこれまでのやり方ではなく、すぐに本屋に走る。40歳を過ぎて、『ゼロからのフランス語』という本を開き、単語から文法まで独学で学んだ。

「文法をいかに速く覚え、語彙をいかに増やしていくか、そのチャレンジでした。もちろん、通訳は文化と文化の間に入る役割なので、言葉だけしゃべれてもできないと思います。私の場合、その点、通訳の経験はありましたから」

【次ページ】 「日本を文化をしっかり知ること」

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