「谷間の世代」と呼ばれて。BACK NUMBER
谷間の世代・初代主将、羽田憲司。
今も残る悔恨と鹿島コーチでの野心。
text by
浅田真樹Masaki Asada
photograph byYuki Suenaga
posted2019/08/08 11:50
2001年ワールドユースに挑んだU-20日本代表で、背番号5のキャプテンだった羽田憲司。現在は鹿島でコーチを務める。
初戦でまさかのオウンゴール。
急仕上げで、どうにか間に合わせた大舞台。だが、およそ1カ月間ピッチから離れていた影響は、決して小さなものではなかった。
グループリーグ初戦の相手は、オーストラリア。日本は初戦の緊張から硬さが見られたが、ボールポゼッションでは上回り、優勢に試合を進めていた。
羽田を欠いて以降、不安定さを見せていた守備も、DFラインの要が復帰したことで、明らかに落ち着きを取り戻していた。当時の羽田も試合後、「前半のDFラインはパーフェクト。行けるぞ、っていう感じがみんなにあった」と、コメントしている。
ところが59分、思わぬ落とし穴が待っていた。
左サイドから入ってきた低く速いクロスに、ゴール前の羽田が体勢を崩しながら懸命に足を伸ばす。しかし、左足に当たり損ねたボールは自陣ゴール方向へ跳ねると、不運にも絶妙なループシュートとなってGK藤ヶ谷陽介の頭上を越えた。
「試合の入りもよくて、どこかで点が入れば(勝てる)っていう感じだったんですけど、まさかのオウンゴールで……。そこから、自分たちの経験のなさだったのか、チーム全体がバタバタしてしまいました」
「なぜここで?」って感じでした。
そして羽田は、再び自責の念を口にする。
「あのオウンゴールがすべてだった。自分はずっとそう思っています。そのインパクトが強すぎて、自分がどういう気持ちであの大会に臨んでいたのか、そういうことを覚えていないというか、オウンゴール以外の記憶が薄れています。
この世代の中心でやってきた自負もあったし、キャプテンもやらせてもらっていたから、チームを引っ張っていこうっていう意識でやっていました。だから、余計に責任を感じた。流れがよかったのに、『あそこでキャプテンがオウンゴールするか?』って。自分でも、『なぜここで?』って感じでした」
大事な初戦を落とした日本は、続く第2戦でもアンゴラに1-2で敗れて2連敗。最後のチェコ戦でようやく本来の力を発揮し、3-0で快勝したものの、時すでに遅し、だった。
1勝2敗のグループ最下位。日本がこの大会でグループリーグ敗退に終わるのは、開催国枠で出場した1979年大会を除けば、初めてのことだった。