「谷間の世代」と呼ばれて。BACK NUMBER
谷間の世代・初代主将、羽田憲司。
今も残る悔恨と鹿島コーチでの野心。
posted2019/08/08 11:50
text by
浅田真樹Masaki Asada
photograph by
Yuki Suenaga
10代のころから「黄金世代」と比較され、あまり評価をされてこなかった世代だ。だが、そんな評判を覆すように、彼らのなかからはJ1リーグの得点王や、クラブのレジェンド的存在が生まれている。
当事者である彼らは世間の評価をどう受け止め、どう成長していったのか。今年38歳となり、現役を続ける者が少なくなってきたいま、彼らの証言から「谷間の世代の真実」を探る。今回は代表チームでキャプテンを務め、鹿島アントラーズなどにも在籍した羽田憲司に訊いた。
天気のよい平日の昼下がり。鹿島アントラーズのクラブハウス内にある一室で待っていると、ほどなく、練習を終えた羽田憲司がジャージ姿のままやってきた。
「インタビューされるのなんて、久しぶりだな」
2012年シーズンを最後に、ヴィッセル神戸で現役を引退した羽田は、セレッソ大阪のアカデミーとトップチームで3年間コーチを務めた後、2016年シーズンから、自身がプロ選手としてのキャリアをスタートさせた、古巣・鹿島にトップチームのコーチとして復帰。以来、指揮官の右腕となり、クラブ通算20冠を達成した常勝軍団を支えている。
最初は“谷間”を意識してなかった。
今回の取材テーマは、「谷間の世代」。もちろん、事前に伝えてある。
「もうかなり前のことだし、ちゃんと思い出せるかな」
日焼けした顔にはしわも目立つようになってきたが、軽口とともに見せる人懐っこい笑顔は、約20年前から変わっていない。
2000年1月、18歳の羽田は至福の瞬間を味わっていた。
第78回全国高校サッカー選手権大会。千葉県代表の市立船橋は、松井大輔らを擁する鹿児島県代表の鹿児島実業を決勝で2-0と下し、3度目の優勝を成し遂げた。しかも1回戦から決勝まで、相手に1ゴールも許さない無失点優勝。そんなスキのないチームのキャプテンを務め、鉄壁を誇るディフェンスの中心にいたのが羽田だった。
世代屈指のセンターバックは高校卒業後、鹿島入り。一方で、同世代の選手が集まるU-20日本代表にもチーム立ち上げ当初から選ばれ、そこでもキャプテンを務めた。当時のU-20代表とは、すなわち、谷間の世代と呼ばれた選手たちである。
「そう言われていたのは知っていました。ふざけて『オレたち、谷間だからさ』とか言い合っていたこともあったと思います(笑)。でも、いい選手はたくさんいたので、(実力的には)谷間ではなかったと思うし、当時はそれほど意識していませんでした」