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川井梨紗子が見せた敬意と執念。
吉田沙保里、伊調馨の壁を超えて。 

text by

矢内由美子

矢内由美子Yumiko Yanai

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photograph byMiki Sano

posted2019/07/10 17:00

川井梨紗子が見せた敬意と執念。吉田沙保里、伊調馨の壁を超えて。<Number Web> photograph by Miki Sano

取材エリアでは涙を見せた川井梨紗子。伊調馨とのプレーオフを制し、東京五輪の座を懸けた戦いに挑む。

吉田沙保里、伊調馨という「壁」。

 思えば、毎年のように階級を変えてきた。

 身長は160cm。'12年に世界選手権初出場を飾った時はまだ至学館高校3年だったこともあり、51kg級に出て7位だった。その後、同年12月の全日本選手権から55kg級に転向し、至学館大学に入学した'13年も55kg級を主戦場とした。しかし、この階級には五輪3連覇中だった吉田沙保里がおり、その壁は厚かった。

 '14年から階級を58kg級に上げると、今度は五輪3連覇中だった伊調馨が階級を下げてきた。伸び盛りだった川井は一気に世界ランク2位まで駆け上がったが、当時の伊調の強さは別格である。6月の全日本選抜と12月の全日本選手権でいずれも決勝で対戦したが、0-4、0-6と1ポイントも取れずにはねのけられた。

 ただ、内容を見れば伊調のポイントは多くがタックル返しによるもの。川井は攻めの姿勢で女王を追い詰める手応えをつかみかけていた。

63kg級で挑んだリオ五輪。

 ところが、このタイミングで当時監督だった栄和人氏から63kg級への転向を勧められた。困惑と悔しさ。当時の様子を、姉とともに至学館の寮で生活していた3歳下の妹・友香子はこのように振り返る。

「あのころの梨紗子はずっと『馨さんに勝ちたい』と言っていて、でも、階級を変えることになった。自分はまだ高校生だったので、あまり理解できていないところもありましたが、泣いている姿はよく見ていました。寮で先輩に相談して泣いたり、お母さんに電話して泣いていたり。その姿を何度も見ました」

 それでも、リオデジャネイロ五輪へと気持ちを切り替えた川井は、'15年6月の全日本選抜で優勝して世界選手権に出場し、2位でリオ五輪出場権を獲得。「リオ五輪で金メダルを取って、また馨さんに挑戦して次は勝ちたい」と話していた通りに、リオで金メダルに輝き、63kg級に別れを告げた。

【次ページ】 伊調に対する敬意と悔しさ。

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