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<「2019世界柔道」直前インタビュー vol.3>
“好敵手”を乗り越えて。
posted2019/07/11 11:30
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
Takuya Sugiyama
各階級、激しい代表争いが続けられてきた日本柔道にあって、彼らは“好敵手”としのぎを削り、ときにその背中を追いかけて、頂点に立つ日を信じて、進んできた。
世界柔道は男女それぞれ2つの階級のみ、複数の選手を代表として出場させることができる。その1つが男子66kg級だ。
阿部一二三とともに代表となった丸山城志郎は、破竹の勢いで勝ち進んできた。
昨年11月のグランドスラム・大阪では阿部一二三を破り優勝。その後も12月のワールドマスターズ、今年2月のグランドスラム・デュッセルドルフで優勝し、4月の全日本選抜体重別選手権決勝で再び阿部を破り優勝。初めての世界柔道代表をつかんだ。
大阪の試合後には、こう語っている。
「『見てろよ』っていう感じで燃えました」
場内の阿部への声援の多さが気持ちを奮い立たせたのだという。そこには、長年励んできた柔道への思いも込められていた。
丸山は、オリンピック代表だった父のもと、気づいたら柔道をしていた。
「生活の一部みたいな感じでした」
全国大会に出場し活躍するようになった小学生の頃には、「僕もオリンピックで戦いたい」と夢を抱くようになった。
ときに波はありつつ、66kg級を担う1人となった丸山に立ちはだかった選手がいた。4歳下の阿部だった。2016年の全日本選抜体重別選手権、2017年のグランドスラム・東京それぞれの決勝で敗れたのである。
阿部は2017年から世界柔道を連覇。第一人者と捉えられる存在になっていった。
自分の柔道を貫いた上で勝ちきる。
「焦りはありましたね」
それでも「次は勝とう」と練習に励む中、大きな失意を味わった。実績面で遅れをとらないよう、巻き返すためにも必勝で臨んだ2018年のアジア大会で銀メダルに終わったときだった。
「負けたら終わりだという気持ちでいたので、人生終わったなっていう気持ちになりました。そのときは、柔道がいやになりましたね」
気持ちをほぐしてくれたのは、母校の天理大学監督・穴井隆将の言葉だった。
「お前の柔道をすればいいじゃないか、結果とか代表とかじゃなく、自分の柔道を貫き通せばいいじゃないか」
気持ちを立て直すと、以来、自分の柔道をすることに徹した。その結果が、昨年11月からの快進撃であり、初めての世界柔道代表の切符だった。
「目標はもちろん優勝なのですが、自分の柔道を最初から最後まで貫いた上で勝ちきるというところを日本の皆さんに見せたいと思います」
柔道は「人生のすべて。なくてはならないもの」。自分の表現として、取り組んだ時間の成果として、世界一だけを見据える。