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「葛藤はあったと思うんです。でも…」高校駅伝で話題の“集団転校”…思い出す“2012年の豊川高校”の衝撃 転校組を「受け入れられた」納得のワケ

posted2025/05/19 06:01

 
「葛藤はあったと思うんです。でも…」高校駅伝で話題の“集団転校”…思い出す“2012年の豊川高校”の衝撃 転校組を「受け入れられた」納得のワケ<Number Web> photograph by JIJI PRESS

2012年都大路で初出場初優勝を達成した愛知・豊川高の胴上げシーン。留学生を除くとアンカー以外は全員、宮城・仙台育英高からの転校組だった

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和田悟志

和田悟志Satoshi Wada

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JIJI PRESS

 この3月、高校駅伝屈指の強豪である福岡・大牟田高の駅伝部員が、鳥取城北高に集団転校すると報じられた。大牟田高は昨年の都大路で準優勝したチームだけに、鳥取のみならず全国の勢力図を変えることにもなりそうだ。実は、高校駅伝界での集団転校はこれが初めてではない。中でも2012年に宮城・仙台育英高から愛知・豊川高へ選手が転校した際には、そのまま都大路で「初出場初優勝」を果たすなど、大きな話題となった。その時、内部では何が起こっていたのだろうか。《NumberWebインタビュー全3回の2回目/つづきを読む》

突然の集団転校…「チャンスは減るな」という不安

 学校側から特に説明があったわけではない。

 在校生にとっては寝耳に水だったが、「東日本大震災による練習環境の悪化と監督退任」を理由に、仙台育英高の男子選手7人が豊川高へと転校してきたのは、2012年3月頃のことだった。

「自分は陸上を始めたばかりだったので、あまり全国に目が向いていなくて、知識もそんなになかったんです。でも、もちろん仙台育英が強いことは知っていました。全国大会に出ている強い人たちが来るのだから、『(メンバーになる)チャンスは減るな』という不安は正直、ありました」

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 当時、豊川高1年生だった皆浦巧さんは当時の心境をこう振り返る。

 豊川高は様々なスポーツの強豪校として知られるが、当時の男子陸上部はまだ強化途上。地元出身の生徒が中心で、他の部活動も含めたスポーツ寮で生活を送っていたのは、皆浦さんと留学生のカレミ・ズクだけだった。

 だが、全国の有力選手が集った仙台育英高から転校生が来るとなって、男子部員の寮が新設されていた。結果的に、皆浦さんもそこに移ることになった。

「彼らが寮の見学に来た時が『はじめまして』だったんですけど、その時は誰が誰だか全然分からなくて。全員が強い人に見えて、最初は『ちょっと怖いな』と感じました」

【次ページ】 転校組のフランクな態度…少しずつ打ち解けた

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