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Jユースから高校への“移籍”で変身。
鈴木冬一がU-20W杯で証明する成長。 

text by

松尾祐希

松尾祐希Yuki Matsuo

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photograph byGetty Images

posted2019/06/04 07:00

Jユースから高校への“移籍”で変身。鈴木冬一がU-20W杯で証明する成長。<Number Web> photograph by Getty Images

U-20W杯メキシコ戦では、左サイドバックとしてフル出場。献身的なプレーで快勝へ導いた。

“移籍”を決断した17歳。

 高校3年となる直前の'18年3月、鈴木は自らの意思である行動に出る。よりタフなプレーヤーになるべく、C大阪U-18から長崎総科大附高への転校を決意したのだ。

「ワールドカップのメンバーに選んでもらい、出場機会もたくさん与えてもらいました。でも、大会前の遠征ではメンバーから外れることも多く、選ばれるかどうかの当落線上にいました。そんな自分の現在地が、決断を下す上で一番大きかった」

 Jユースから高体連への移籍は、17歳の若者にとって簡単な決断ではなかっただろう。すでにトップチームに2種登録を済ませていたし、大阪に残ればJ3に参戦しているU-23チームも含めてJのピッチに立つチャンスはある。

 高体連に身を置くよりも、より高いレベルの環境でプレーできたに違いない。それでもなお、鈴木は決断した。生まれ故郷を離れ、見ず知らずの街へ単身で乗り込んで寮生活をスタートさせる道を選んだ。

名伯楽・小嶺監督の指導。

 携帯電話に触れず、コンビニにも行けない。今までとは異なる環境に戸惑った。登録の問題もあって夏のインターハイ予選には出場できず、チームも初戦敗退。結果はなかなかついてこなかった。

 しかし不平不満を言わず、グラウンドで懸命にボールを追い続けたのは、自身の現状を打開しようとする強い覚悟があったからだ。厳しい指導で知られる名伯楽・小嶺忠敏監督の下へ飛び込んだのは、自らを追い込むためである。

 試合ではドリブルで局面を打開するだけでなく、自陣まで戻って守備をする。練習では同級生により高いレベルを要求し、下級生には厳しい言葉をかけつつも丁寧にサッカーを教える。

 鈴木の姿勢に村山聡コーチは目を細めた。

「ひとりで勝たせるという意気込みで、全部やっていました」

 プレーの引き出しは見違えるように増え、仲間のために戦う重要性も知った。口に出す言葉も変わり、チームメイトや指導者への想いを頻繁に話すようになった。

【次ページ】 チームのために走る選手に。

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