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中田英寿はいかにして育ったのか。
地元・山梨で見えた「人の縁」の妙。

posted2019/06/03 18:00

 
中田英寿はいかにして育ったのか。地元・山梨で見えた「人の縁」の妙。<Number Web> photograph by Getty Images

中田英寿の“中田然”とした話しぶりは小学生の時からだった。その性質を伸ばした大人たちのことも讃えられてしかるべきだろう。

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矢崎香耶子(Number編集部)

矢崎香耶子(Number編集部)Kayako Yazaki

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 Number979号『日本サッカー 天才伝説』。その表紙、凛々しくこちらを見据える久保建英選手を筆頭に新旧の“天才”たちの名前が躍る中、違和感を覚える方も多いのではないだろうか。

 中田英寿。日本サッカー史上、最も成功した選手と言っても過言ではない彼が、天才と呼ばれることはほとんどない。それは彼の成功が、技術ではなく、類まれなる精神力と、それに支えられた努力によるものだと広く認識されているからだろう。

 では、その精神力は、一体どうやって育まれたのか。天才的な技術は持っていないとされる中田英寿が、持って生まれたものとは何だったのか。あるいはもしかして、彼こそが天才だったのではないか……それを探るべく、中田の故郷、山梨県へと向かった。

高校時代のチームメイトが先生に。

 東京から車を走らせること2時間。山梨県、韮崎の町は、のどかな田舎の住宅街といった風情だ。高いビルなどがないおかげで一層雄大な八ヶ岳の麓に、中田の母校、韮崎高校がある。グラウンドの看板には、高校選手権やインターハイの出場回数と「伝統をつなぐ」の文字。いかにも、サッカーの名門校である。

 我々を出迎えてくれたのは、高校時代、中田のチームメイトだった今村優貴先生。明るく、朗らかな笑顔で取材に応じてくれた今村先生の口調が熱を帯びたのは、現在監督を務めるサッカー部の目標について話が及んだときだった。

「インターハイとか選手権とか、もちろんそういうのもあります。だけど僕の仕事は、サッカーを教えることじゃなくて、サッカーで伝えること。社会に通用する人間を、サッカーで育成する。サッカー『を』じゃなくて、サッカー『で』学んでほしい、と思っています」

 てっきり成績の話になると思っていたので、意外に思えた。と同時に、生徒の現在だけではなく、将来をきちんと考えている、良い先生だなあと感じた。

【次ページ】 「先生、よく泣かなかったじゃん」

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#中田英寿
#韮崎高校

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