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Jユースから高校への“移籍”で変身。
鈴木冬一がU-20W杯で証明する成長。 

text by

松尾祐希

松尾祐希Yuki Matsuo

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photograph byGetty Images

posted2019/06/04 07:00

Jユースから高校への“移籍”で変身。鈴木冬一がU-20W杯で証明する成長。<Number Web> photograph by Getty Images

U-20W杯メキシコ戦では、左サイドバックとしてフル出場。献身的なプレーで快勝へ導いた。

エースナンバー「8」を背負っていた鈴木。

 鈴木は、幼い頃から将来を嘱望された選手だった。

 C大阪U-12では小学校5、6年次に全日本少年サッカー大会に出場。同U-15ではチームのエースナンバーである「8」を背負い、U-15高円宮杯で全国優勝を経験した。

 当時のプレースタイルは、左利きのドリブラー。「柿谷(曜一朗)選手や香川(真司)選手を見ているうちに、絶対8番をつけたいと思うようになった」と偉大な先輩たちへの憧れを口にし、テクニックで相手をいなしていた技巧派は“浪速のマラドーナ”の異名を取るほどだった。

 チームからの期待を一身に背負っていた鈴木が壁にぶち当たったのは、今から2年前。高校2年の2017年だ。

 トップチームに2種登録されていたが、U-23(J3)で出場機会を増やせず、U-18の試合でも個の力で圧倒できなくなった。左足を駆使したラストパスやフィニッシュ、独特の間合いから繰り出すドリブルが同世代の相手に通用しない。勝れていたフィジカルも、周りの成長によりアドバンテージがなくなってしまった。

 チームで活躍できなければ、世代別代表から遠ざかるのは至極当然。“00ジャパン”(2000年生まれ以降の選手たちで構成)でも、徐々に自らの立ち位置が揺らいだ。当時、U-17W杯を目指していたメンバーから、外れる機会が多くなった。

U-17W杯で痛感した世界との差。

 サッカー選手として上へ行くためにどうすべきか――。幸運だったのはU-17日本代表の森山佳郎監督との出会いだ。

「身体を張る」「球際で負けない」

 チーム立ち上げ当初から戦う姿勢の重要性を叩き込まれて、それを心にプレーし続けたことが大きな意味を持った。

 '17年7月の新潟国際ユース大会に招集されると、初めて左SBでプレー。走力と攻撃力を買われての抜擢に応え、新たな可能性を示した。そして、熾烈なメンバー争いを勝ち抜き、10月にインドで行なわれたU-17W杯では、全4試合に出場して1ゴールの活躍を見せた。

 それでも、鈴木の心に残ったのは危機感だった。

 決勝トーナメント1回戦でイングランドのカラム・ハドソン・オドイ(チェルシー)と対峙し、世界との差を目の当たりにする。「現状のままではまずい」。そんな想いが鈴木を支配した。

【次ページ】 “移籍”を決断した17歳。

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