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「抑えたら、何だっていいんですよ」
上原浩治はいつもそう言っていた。
text by
ナガオ勝司Katsushi Nagao
photograph byAFLO
posted2019/05/23 11:30
2013年にはワールドシリーズ優勝投手になった上原浩治。その日も彼はきっと、ただ勝つためにマウンドに向かったのだろう。
中継ぎ時代があるからこそわかること。
上原と田澤(現カブス傘下マイナーAAA級アイオワ)の日本人リリーバー・コンビは、2013年のレッドソックスで誕生した。
セットアッパーの田澤が7回や8回のピンチに登板し、そこを最少失点で抑えて9回、時には8回途中から上原にゲームを締める役目を託す。
だが、上原は最初からレッドソックスのクローザーだったわけではない。
元アスレチックスの守護神アンドリュー・ベイリーや元パイレーツの守護神ジョエル・ハンラハンが怪我で潰れた後、中継ぎ投手として最も安定した成績を残していた上原に「大役」が回ってきたのは、すでにシーズンが約2カ月を過ぎた頃だった。
そんな彼が田澤だけではなく、左腕クレイグ・ブレスロウやブランドン・ワークマンなど、自分の前に投げる投手たちにリスペクトを払っていたのは、オリオールズやレンジャーズ時代を含む「中継ぎ時代」を経ているからこそ、だった。
「中継ぎの気持ちは中継ぎになった者にしか分からない。走者がいる時にいきなりマウンドに上がれって言われて、抑えて当然。打たれたらなんでや? みたいになるのが中継ぎですから」
「練習、嫌いやもん」
クローザーとなり、One of them(彼らの1人)からHe is the one(彼こそはその1人)になった上原。今にして思えば「奇跡」のような成功物語だが、その運やタイミングを引き寄せることができたのは、彼が毎日、地道にやっていた努力のお陰だろう。
キャッチボール、遠投、ダッシュ、ランニング。凍えるような寒い日も、汗が滴り落ちる猛暑の日も、彼はただひたすら、それらを黙々と繰り返していた。
件のインタビューの最中、彼はポツリとこう言っている。
「やらなくてもいいなら……なんもしなくてもいいピッチングができるなら、練習なんてやらない。練習、嫌いやもん」
他の多くのプロ野球選手がそうであるように、上原もまた、ある種の強迫観念の中でプレーし続けていたのだ。
「肩肘のケアを毎日やってるのも同じこと。とくに僕は一度、肘をやってるし、次にもう一度やったら終わりだと思ってる。そうなったら野球選手を辞めなきゃならない」