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東京五輪前にエースが驚きの引退。
トランポリンを「みんなで盛り上げる」
text by
矢内由美子Yumiko Yanai
photograph byMATSUO.K/AFLO SPORT
posted2019/05/20 10:30
昨年6月の「第33回世界トランポリン競技選手権大会 日本代表最終選考会」では2位に入り代表に選出されたが、腰痛の悪化で同年11月の世界選手権を欠場。
出ることが目的では「金」は取れない。
五輪での日本勢の最高成績は、'08年北京五輪に外村哲也が4位、ロンドン五輪で伊藤が4位、リオ五輪で棟朝銀河が4位と、3大会連続で4位という非常に悔しい結果が続いている。女子も過去最高成績は'00年シドニー五輪の丸山(旧姓・古)章子の6位である。
東京五輪を目指してトレーニングを続ける伊藤の胸に、迷いが生じてきたのは昨年頃だった。
伊藤は、北京五輪で太田雄貴が銀メダルを取ったフェンシングや、リオ五輪で羽根田卓也が銅メダルを獲得したカヌーが「初メダル」を契機に大きく盛り上がったように、メダルを取ってトランポリン競技をメジャーにしたいという願いをずっと持っていた。
「目指しているという気持ちでは、たとえ出られても良い結果はついてこないのではないか。金を目指すからメダルを取れるのに、最初から出ることを目指していても取れない。言葉では『金を目指す』と言いながらも、心の中では罪悪感がありました。自分自身を許せなかったのです」
メダルの重要性を痛感したロンドン五輪。
苦い思い出がある。'11年の世界選手権で銅メダルを獲得したことで翌年のロンドン五輪の代表内定を得ていた伊藤のもとには、当時多くのメディアが訪れた。一日に複数の取材を受けることも珍しくなかった。トランポリンへの注目度が上がればという思いで意欲的に対応していたが、本番で表彰台を逃したとたんにメディアの波が引いた。
「ロンドンのときは、ここでメダルを取ったらヒーローになれると感じていました。けれども4位でメディアが去ってしまい、その後はメダリストがフォーカスされて……。さみしさを肌で感じ、これが現実だ、メダルを取るか取らないかが大事だと感じたんです」
こうして競技を離れる決意をした伊藤は、日本のトランポリン界初となる五輪メダル獲得を後輩たちに託しながら、より多くの人に競技を知ってもらうための活動をしていきたいと考えている。
過去3大会の五輪で連続4位ということは、メダルまであと一歩だ。地元開催の東京五輪で後輩たちが悲願を達成したときに備えて、トランポリンがブレークし、さらにその先まで続く道をつくるための環境を整えたいという思いである。