ひとりFBI ~Football Bureau of Investigation~BACK NUMBER
Jどころかサッカー史に残る最終節。
03年マリノス完全Vは奇跡の連鎖。
posted2019/05/10 10:00
text by
北條聡Satoshi Hojo
photograph by
J.LEAGUE
名勝負あるある――奇跡の安売り。ただ、あの日、あの時、あの場所で起きたドラマは確かに奇跡的だったかもしれない。
あれは日韓ワールドカップの翌年だから、2003年のことである。セカンドステージ最終節。横浜F・マリノスが前年王者のジュビロ磐田を破り、いわゆる「完全優勝」を成し遂げた一戦だ。
試合内容はもとより、土壇場で横浜FMに優勝の栄冠が転がり込むタイトル争いの軌跡もまた奇跡的。同時刻開催の他会場の試合展開まで複雑に絡みつき、信じがたい出来事が二度起きる。まるで「組織ぐるみ」の大仕掛け。そうした背景が、この試合を伝説の名勝負へ押し上げることになった。
奇跡が、奇跡を呼ぶ。
安売りを承知で言えば、そういうドラマだった。2ステージ制覇をもくろむ3位の横浜FMが首位の磐田に挑んだ直接対決。ただ、この試合をモノにしても、2位につける鹿島アントラーズが勝てば、その時点で横浜FMの野望はついえてしまう。人事を尽くして天命を待つほかなかった。
16分でGK榎本哲也が一発レッド。
ところが開始2分、いきなり自陣右サイドを破られ、ジヴコヴィッチのクロスから急先鋒グラウに手痛い一発を食らう。さらに事態を悪化させたのが16分。パントキックの際にチャージされて激高した弱冠20歳の守護神・榎本哲也がグラウを突き倒してしまう。
一発レッドの退場処分。残り時間を10人で戦うはめになった。やむなく右翼の佐藤由紀彦をベンチに下げ、ベテランのGK下川健一をピッチへ送る。スタジアムに重たい空気が漂いはじめるのも無理はなかった。
横浜FMの陣形はトップ下に元磐田の奥大介を据えた3-4-1-2。磐田のそれと同じである。この日は右サイドバックを担う柳想鐵(ユ・サンチョル)が出場停止。そこで松田直樹、中澤佑二とともに河合竜二を最後尾に並べたが、早々と劣勢に追い込まれ、中盤の枚数を削る布陣変更(3-4-2)を強いられることになった。