ひとりFBI ~Football Bureau of Investigation~BACK NUMBER
ラモス瑠偉が見せた円熟の名人芸。
動けず、走れずもループシュート。
posted2019/05/05 10:00
text by
北條聡Satoshi Hojo
photograph by
J.LEAGUE
おう、若いの、切り札ってのは、ここ一番まで取っておくもんだ。
もしかすると、緑の古参兵がわが身を削って後続世代に伝えたかったのは、そのことだったのかもしれない。
ヴェルディ川崎がサンフレッチェ広島を破った1994年チャンピオンシップ第2戦。この平成を彩る名勝負の主人公となったのが37歳の大ベテラン、ラモス瑠偉だった。
もっとも、八面六臂の働きをしたわけではない。できるはずもなかった。負傷をおして決戦のピッチに立っていたからだ。
左足大腿部肉離れ。シーズン終盤に痛めた左足は完治にほど遠い状態にあった。第1戦は痛み止めの注射を打って強行出場。その後は一度もトレーニングに姿を見せず、この日の第2戦に臨んでいた。
「今回ばかりは(欠場も)しょうがない」
試合前日、自ら出場断念を口にしている。だが、当日になると先発リストに名を連ねていた。作戦面を担当していたネルシーニョ・コーチにとって、ラモスは決して欠くことのできない駒だったからだ。
ネルシーニョが舵を切った守備重視。
連覇を狙うV川崎は前年の輝きを失いつつあった。ファーストステージの優勝を広島にさらわれ、夏にエースのカズ(三浦知良)がイタリア・セリエAのジェノアへ移籍。それでもセカンドステージで勝ち点を積み上げたが、勝負どころの終盤戦で失点がふくらみ、戦い方を見直す必要に迫られた。
そこで参謀役のネルシーニョが守備重視の戦法へ舵を切る。中盤の4人をひし形に並べる伝統の陣形(4-4-2)に見切りをつけて、実質5バックの3-5-2へ。これに伴い、カズの後釜に据えたFWのベンチーニョをサブに回し、守備力の高いMFのカピトンをスタメンの一角に組み込んだ。
この決断が功を奏し、セカンドステージを制する。そして迎えた広島とのチャンピオンシップでも慎重な構えを崩さなかった。とにかく、がっちり守って少ないチャンスを生かす戦い方を選んだわけである。