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震災に響いた「ピッチャー、田中」。
独断!平成プロ野球名勝負ベスト10。 

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小西斗真

小西斗真Toma Konishi

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photograph byKyodo News

posted2019/04/25 07:30

震災に響いた「ピッチャー、田中」。独断!平成プロ野球名勝負ベスト10。<Number Web> photograph by Kyodo News

楽天を初の日本一に導いた田中将大。震災で沈む東北の人々に、大きな希望を与えた。

数々の伝説が生まれた平成野球。

【第6位】平成28年10月16日 日本ハム対ソフトバンク(札幌ドーム)

 CSファイナルステージの第5戦。大谷翔平が国内最速の165㎞をマークした。3番・指名打者として出場していた大谷は、9回にマウンドへ。これぞ二刀流という起用法で打者を圧倒し、日本シリーズ出場を決めた。ちなみにフォークボールの球速が151㎞であった。

【第5位】平成6年9月20日 オリックス対ロッテ(GS神戸)

 この年の開幕前に鈴木一朗はイチローとなった。「振り子打法」と名付けられた独自のフォームから安打を量産し、この試合で園川一美からライトオーバーの二塁打を放ち、前人未踏のシーズン200安打を達成した。従来の最多記録は藤村富美男(阪神)の140試合制での191安打。イチローは130試合制で210安打まで積み重ねた。

 打率.385で初の首位打者に輝いたこの年はまだ3年目。以後、平成が終わるまで伝説であり続けた。

【第4位】平成13年9月26日 近鉄対オリックス(大阪ドーム)

 北川博敏による「代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームラン」。おまけにお釣り無し。これを上回る本塁打は、存在しない。空前絶後。前人未踏。マンガでも恥ずかしくて描けない究極の1打である。しかもこの3年後、近鉄は消滅し、オリックスに事実上、吸収される。北川もオリックスの一員になろうとは、歓喜の瞬間は夢にも思わなかったことだろう。

WBCへの関心を高めた源流。

【第3位】平成18年3月12日 日本対アメリカ(エンゼルスタジアム)

 第1回WBCが開催された。当時はまだ侍ジャパンという呼称もなく、見切り発車の感も否めないままの大会だったが日本代表は現役監督の王貞治が指揮を執った。選手でも辞退者が続出するなどチーム編成も混乱したが、イチローがはせ参じたことで中核はできた。

 東京ドームでのアジアラウンドを勝ち上がり、アナハイムでのアメリカラウンドに進出した王ジャパンは、初戦でアメリカと対戦した。

 現在ならチャレンジ(リクエスト)制度で覆るところだが、ボブ・デービッドソン球審による「世紀の誤審」があったことで、日本国民のWBCへの関心は急速に高まった。アメリカにサヨナラ負けし、韓国戦で苦杯をなめながらも、メキシコがアメリカを破る金星の恩恵を受け、奇跡的に準決勝に進んだ。韓国とキューバを連破し、日本は初代王者に輝いた。

 3年後に原辰徳が率いた第2回でも韓国との決勝戦でイチローが決勝打。連覇を成し遂げた。一般的にはこの試合を推す声が強いだろうが、五輪以外にトップ選手が出場する「国際大会」が存在しなかった野球において、国民を引きつける源流はこのアメリカ戦でできたのではなかろうか。

【次ページ】 再現不可能な優勝決定戦。

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