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小宮山悟監督で早稲田は復活するか。
野球部を「あるべき正しい姿に」。
text by
清水岳志Takeshi Shimizu
photograph byYuki Suenaga
posted2019/03/07 07:00
1990年にドラフト1位でロッテ入団、'00年に横浜、'02年にメッツへ移籍し、'04年からロッテに復帰して'09年限りで引退。
鳥谷、青木、田中がいた時代。
理想は鳥谷敬(現・阪神)、青木宣親(現・ヤクルト)、田中浩康(元・DeNA)らを擁して、2002年春からリーグ4連覇したチームだという。就任にあたって、昨季限りでプロ野球を引退した田中をコーチとして招聘したのも、あのチームの雰囲気を今の学生に伝えてほしいという狙いがある。
2003年、小宮山監督はニューヨーク・メッツを退団して浪人中。当時の野村徹監督から「時間があるなら見てくれ」と言われ、グラウンドに出向くこともあった。
「グラウンドでの緊張感の漂い方が尋常じゃなかった。先日、キャプテンだった比嘉寿光(元・広島)が来て言ってました。『シートノックは自分が守ったサードからスタートするんですけど、上手く取れたらその日の練習の90%は完了でした。それぐらい、最初の1球目から緊張感がありました』と」
和田が抜けた後のエース候補に。
筆者も、2003年のチームの練習を見たことがある。
六大学リーグの奪三振記録を作った大黒柱の和田毅(現・ソフトバンク)が卒業して、エース候補は清水大輔(元・JR東日本)だった。その清水がシートバッティングで投げたが、ストライクが入らない。野村監督がたまらず、声を荒げた。
「練習にならないじゃないかっ」
すると野村監督は自らマスクとプロテクターとレガースをつけて、キャッチャーの位置に座った。
「ストライクが10球続くまで、終わらんぞ」
陽が落ちて暗くなって、何十球投げただろうか。清水は嗚咽を上げて投げ続け、ポジションについていた比嘉、鳥谷、田中の檄の声も涙ぐんでいた記憶がある。
清水はこの年、15勝無敗で連覇の立役者になるのだ。