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鍵は医師・古島弘三氏の存在!
高野連の球数制限、次なる展開。
posted2019/02/27 17:00
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph by
Kyodo News
高校野球のイベント化の1つの象徴が、春夏の甲子園大会の開会式で行われる選手宣誓ではないだろうか。
かつての「スポーツマン精神に則り、正々堂々と戦うことを誓います」という紋切り型の宣誓から、現在の創作型へと変化するきっかけとなったのは1984年の夏の大会だ。
「若人の夢を炎と燃やし、力強く、たくましく、甲子園から大いなる未来に向かって、正々堂々と戦い抜くことを誓います」
こう宣誓をしたのは福井商業の坪井久晃主将だった。
本人の回顧によると、大役が決まった直後に大会本部からセリフを間違えないように「文面を紙に書いて持ってくるように」と伝えられた。これをオリジナルなものを用意しろという意味と勘違いした結果、この宣誓が生まれたのだという。
その後、宣誓をする学校の主将は、文字通り創意工夫を凝らして独特な言葉で高校野球の夢”や“感動”“感謝”を伝え続けている。選手(学校?)が自分たちで言葉を考え、オリジナルな宣誓をすること自体は、決して悪いことではない。
ただそうして独自性がどんどん進むにつれて最近の選手宣誓では、肝心な本来の宣誓の意味が見失われているのではないかという気がしてならない。
それは紋切り調の宣誓が唯一、伝えようとしていた「スポーツマン精神に則り、正々堂々と戦うこと」である。
いつしか抜け落ちた「スポーツマンシップ」。
DeNAの筒香嘉智選手は「高校の部活に大きなお金が動いたり、教育の場と言いながらドラマのようなことを作ったりすることもある」と指摘した。
高校野球が本来の高校の部活、スポーツの大会から、国民的なイベントとなって、それ以上の価値を求められるようになってしまったのである。
その結果が、勝つことばかりを求める勝利至上主義であり、大会運営ばかりが優先されて、本来のスポーツという枠組み、高校教育の部活という枠組みから外れた一大イベントとしての現在の姿だった。
“夢”や“感動”“感謝”が溢れるオリジナルな選手宣誓の中で、スポーツマンシップという言葉が次第に抜け落ちていってしまった現実は、こうした高校野球のイベント化と決して無関係ではないように思えるのだ。