甲子園の風BACK NUMBER
筒香やダルの言葉で考える球数制限。
高校野球は誰のためにあるのか。
text by
ナガオ勝司Katsushi Nagao
photograph byHideki Sugiyama
posted2019/02/24 17:00
200球を超えるような起用はさすがに減ったが、それでも投手に巨大な負担がかかっているのは否定しようがない。
「高校生って、頑張ってしまうんです」
彼がそんなことを口にするのは、実は今回が初めてではなかった。去年の夏、他の媒体のために「甲子園100回記念」企画のインタビューをした時、彼はもっと具体的にこう言っている。
「投手がもっと必要になるって言うのなら、ベンチ入りする選手の人数をメジャーリーグみたいに25人にしたっていいわけです。もっと多くの選手たちが試合に出られるチャンス、輝けるチャンスやタイミングをもっと増やしてあげたほうが、みんなのためにいい」
彼は言った。「高校生って、頑張ってしまうんです」と。
「誰もがプロ野球に行けるわけじゃないし、高校で野球は終わりって決めているような子は、ルールで歯止めをかけないと、肩が痛くても、肘が痛くても、とことん頑張ってしまうものですから」
ダルビッシュは「待った」を予見していた?
ダルビッシュや筒香の言葉を聞いていると、1つの決定的なことが明らかになる。
それは「球数と連投制限で生まれるメリットは子どもたちにあり、それで生じるデメリットは大人たちにある」という事実だ。
紙幅がないので割愛するが、アメリカの高校野球は基本的には近親者しか観戦しない実質「収益ゼロ」の「リーグ戦方式」だ。そこでは「子どもたち」のために1試合105球の球数制限や、1試合で75球以上投げたら4日間は登板禁止という連投制限も導入されて久しい。
対して日本の高校野球は、地方大会でもカードによっては1試合数万人の観客を動員する「収益あり」の「トーナメント方式」だ。各高校の監督やコーチが「一戦必勝」のために優秀な選手だけを起用し、ピッチャーを酷使するのも当然だろう。
そんな「大人たち」の都合が優先する現状を、根本的に変えるのは難しい。では、どうすればいいのか。ダルビッシュはまるで「全国」が「新潟」に「待った」をかけることを知っていたかのように、アリゾナの真っ青な空の下でこう提言した。
「すぐにできないなら、3年後とか、まだ高校に入学してない子たちのためにやるよ、ということでもいい。そうすれば子どもたちも最初からそういうつもりで(高校野球に)入っていける。今の2年生が3年生になったらやるよ、でもいい。今から1年後から始める、でもいいわけです」