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黒田博樹、新井貴浩、田中広輔、菊池涼介…カープ“伝説のスカウト”「チームの柱の見極め方」とは

posted2020/10/15 17:01

 
黒田博樹、新井貴浩、田中広輔、菊池涼介…カープ“伝説のスカウト”「チームの柱の見極め方」とは<Number Web> photograph by KYODO

選手としてもスカウトとしてもカープ一筋の苑田聡彦氏

text by

安倍昌彦

安倍昌彦Masahiko Abe

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KYODO

10月26日に行われるプロ野球のドラフト会議を前に、過去に「Sports Graphic Number」に掲載されて好評だった関連記事を特別にWebで公開します!(初出・Number911号 2016年9月23日発売「苑田聡彦『チームの柱を見極めるスカウト術』」/年齢、肩書など全て当時)

決して資金力には恵まれていないからこそ、独自の視点で未来の中心選手を獲得してきた。この道39年のベテランスカウトが明かす、優勝をもたらしたナインの獲得秘話。

◆◆◆◆◆

 御年71歳の苑田聡彦のスカウト行脚が始まったのは、1978年である。

 福岡・三池工業高の長距離砲として鳴らし、広島カープでは外野手、内野手として現役生活を14年。レギュラー選手として華々しい経歴こそなかったものの、チームには欠くことのできないユーティリティープレーヤーであり、頼りになるバイプレーヤーでもあった。

 スカウトになって、最初の遠出は高校野球の春季東北大会になった。

 先輩のスカウトが連れて行ってくれるはずだったのが、間際になって旅程表の入った手紙が届き、一人で行ってくれという。

 行き先は弘前だった。

大牟田と広島にしか住んだことのない人間ですから

 苑田にとって、それまでの旅は東京、大阪、名古屋……行き先はいつも決まった街であり、たまに知らぬ土地へ向かう時にも必ず大勢のチームメイトが一緒だった。

「そんなこと、ぼんやり考えとったら、港のほうで連絡船の汽笛がボォーッと鳴ってね、もうそれだけでダメでしたもんね」

 今はそう言ってなつかしそうに笑う。

「大牟田と広島にしか住んだことのない人間ですから、話す言葉も九州弁と広島弁が混ざったような変な言葉でね。人ともなかなか話もできんかったですもんね……」

 スカウト苑田、33歳。関東から北海道、東北をたった一人で受け持って、プロ野球スカウトとしての旅立ちの日であった。

【次ページ】 野村祐輔は「全部持っとったですよ」

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