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黒田博樹、新井貴浩、田中広輔、菊池涼介…カープ“伝説のスカウト”「チームの柱の見極め方」とは
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph byKYODO
posted2020/10/15 17:01
選手としてもスカウトとしてもカープ一筋の苑田聡彦氏
「猛練習の系譜がウチにはありますから」
目の前の新聞には、新井貴浩の活躍が見出しになって報じられている。
「打てんし、捕れんし、投げれんし……」
駒大時代の新井を思い出している。
「でも馬力はあるし、体もでかかった。正直、そこまで(能力を)買ってなかったですよ。でも、駒大の太田誠監督(当時)の『技術は三流だけど体の強さは超一流』。その言葉が心に残って」
1998年のドラフト。6位で指名された新井の後に指名された選手は、全球団合わせても11人しかいなかった。
「成功したのはもう、本人の努力しかないでしょう。とにかく練習してました。高橋慶彦から始まって、長内孝、浅井樹に金本知憲、町田公二郎もそうでしょう。猛練習の系譜がウチにはありますから」
「カープ一途」選手で14年、スカウトで39年
新井が入団して3、4年経った頃、こんなことがあったという。
「あの頃、2月の沖縄キャンプは休日の前の晩は門限なしでね。朝の7時ごろ新聞読みにロビーに降りていったら、ちょうど新井が帰ってきたところで、当時の松原(誠)コーチが『ちょっとバット振って酒抜こうや』って声をかけたら、『はい!』って元気に返事してすぐユニフォームに着替えて降りてきてね。そのまま、昼過ぎまで振りっぱなしですよ」
あらためて新井の頑丈さに驚きながらも、うれしそうに笑っている。
「優勝したいから阪神に行きますみたいな意味のこと言って出て行ったんだから、戻って来にくかったと思いますよ……」
選手で14年、スカウトで39年。今年でカープ53年を迎える「カープ一途」。
「それもよう訊かれます」
いたずらっぽく笑うこの人の愛嬌が、多くの人を惹きつける。
「私、プロに入って何が嫌やったかといって、寮の2人部屋ほど嫌なものはなかった。トレード話も何度もありました。行けばレギュラーかもしれん、だけどカープやなかったら辞めますって言って全部断ってきた。私は新しい人間、新しい環境が苦手なんです。だから、ずっとカープ。いつの間にか50年。ただそれだけなんですよ」
苑田聡彦(Toshihiko Sonoda)
1945年2月23日、福岡県生まれ。広島スカウト統括部長。原貢監督率いる三池工から'64年に外野手として広島入団。内野手への転向も経験し、ユーティリティープレーヤーとして'75年初優勝に貢献。'77年に現役引退。翌'78年からスカウトに転身した。
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