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バレー石川祐希、イタリアで変貌。
「代表でもバトルがあっていい」 

text by

田中夕子

田中夕子Yuko Tanaka

PROFILE

photograph byTakahisa Hirano

posted2019/02/22 11:30

バレー石川祐希、イタリアで変貌。「代表でもバトルがあっていい」<Number Web> photograph by Takahisa Hirano

プロ選手としてイタリア・セリエAのシエナでプレーする石川。高いレベルの中で日々挑戦し続けている。

どこかしら痛いのが当たり前だった。

 学生時代は負け知らず。星城高ではインターハイ、春高を含めた主要タイトルをすべて制し、2、3年で6冠を達成。小中学校から共にプレーし、現在はVリーグのジェイテクトスティングスに属するセッターの中根聡太はこう言った。

「石川からトスの注文をつけられたことはありません。どんな状況でも、どんなトスでも打ってくれる。セッターからしたらこんなに心強い存在はいませんでした」

 中央大1年の2014年に日本代表へ選出され、アジア大会やワールドカップで華々しい活躍を残す一方、相次ぐケガにも見舞われた。どこかしら痛いのが当たり前だった、という状況で大学、イタリア、日本代表とフル稼働するも、1シーズンまともにケガなく戦い切れたことはない。

 自分なりのルーティーンやこだわりがある一方で、周囲から「こうしたほうがいい」と言われれば拒めず、過酷な環境でもOKサインを出し続けて来たことが体の悲鳴につながった。

「だいぶ注文するようになった」

 学生時代までならばそれでもいい。だが石川が選んだプロという道を歩む以上、自身のコンディションを整えるのも自己責任で、評価されるのは結果のみ。その厳しい環境で生き残るためには、セッターにもほしいトスを要求せず何でもOK、ではやっていけない。

「マルーフのトスはすごくきれいだし、質もいい。でもパイプの時に低くなることも多いし、すべて正確かというとそうではないんです。低くなった時に対処するのも自分のすべきことではありますが、打ちやすい高さを要求したり、ここで欲しい、というのはちゃんと伝える。

 損するのも得するのも、嬉しいのもダメになるのも自分なので、そこは個人として意識しないといけないですし、マルーフにもだいぶ注文するようになって、今はお互いの感覚でタイミングがわかってきました」

 迷いなく打ちつける伸びやかなスパイクは、意識と行動の変化が生み出した賜物だった。

 イタリアに初めて来た18歳の頃は苦いコーヒーが飲めず、日々の食事もパスタとピザのローテーション。あれから4年の月日が流れ、世界選手権を終えた直後の9月から間もなく半年が経つ今は、野菜や鶏肉を煮込んだり、肉を焼いたり、自炊の機会も増え、エスプレッソを少し薄めたアメリカーノを、好んで飲むようになった。

【次ページ】 ストレスが石川を強くする。

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