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投本間の距離とマウンドの高低。
先鋭的な野球ルール改定は必要か。
 

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芝山幹郎

芝山幹郎Mikio Shibayama

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posted2019/02/16 11:00

投本間の距離とマウンドの高低。先鋭的な野球ルール改定は必要か。<Number Web> photograph by Getty Images

マウンドが低くなるきっかけの1人となったボブ・ギブソン。当時のようなルール改定は本当に起きるのだろうか。

最も基本的な数字をいじる。

 弱小球団はもとより、このなかにはドジャース、ヤンキース、ブルワーズといった強豪チームも含まれる。安打数(1509)が三振数(1253)を圧倒的に上回ったレッドソックスがワールドシリーズ制覇を果たしたのは、ある意味で当然の帰結かもしれない。

 こうなると、いろいろな改革案が出てくる。

 投本間の距離を広げようという案も一時は取り沙汰されたが、最も基本的な数字をいじるのはどうか、という意見が続出した。

 塁間90フィートの正方形を維持したままマウンドをうしろに下げれば、投球板は一塁と三塁を結ぶ線上に位置しなくなるし、二塁に近づきすぎて、なにかといびつな現象をもたらしてしまう。

過去に実現した“低いマウンド”。

 それでは、と提唱されはじめているのが、マウンドを低くする案だ。

 このアイディアは、1968年シーズンの終了後に実行されたことがある。'68年は「投手の年」と呼ばれた。象徴的な存在はカーディナルスのボブ・ギブソンだ。「巨大な農業機械」と綽名されたギブソンは、この年「アンタッチャブル」を地で行く超絶的な投球を見せた。

 34試合に先発し、完投が28試合(そのうち完封が13試合)。シーズンを通しての成績は22勝9敗、防御率1.12、奪三振268。とくに6月6日から7月30日にかけては、11連続完投勝利(8完封)を記録し、99イニングスを投げて自責点がわずか3だった。

 つまり、その間の防御率は0.27で、被打率も1割6分3厘。加えて当時は、ストライクゾーンがかなり広かった。

 '69年以降は('87年にかけて)腋の下から膝上までと改められたが、'63年から'68年の間は肩から膝下まで。こうなると、打者は手も足も出ない状態に追い込まれる。「投手と捕手がキャッチボールしているだけのゲーム」というジョークが流布したのも無理はない。

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