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ブルペンの使い方で投手は変わる。
いい音がしすぎてもダメ、とは?
 

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安倍昌彦

安倍昌彦Masahiko Abe

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photograph byHideki Sugiyama

posted2019/02/14 07:00

ブルペンの使い方で投手は変わる。いい音がしすぎてもダメ、とは?<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

ピッチャー、キャッチャーの双方にとって、ブルペンと実戦の落差を小さくすることは意味がある。

「ブルペンエース」はなぜ生まれるか。

 言うまでもなく、実戦の場で投手が向き合うのは「打者」であり、投じられたボールのストライク、ボールをジャッジするのは「審判」であるのだから、ブルペンでもこの “二者”がいなくては景色が実戦と同じにならない。

 打席に打者が立ち、審判が捕手の背後に低く構えてこそ、投手から見た景色が実戦に近くなり、審判が真剣にジャッジしてこそ、実戦に近い緊張感がピンと張り詰めようというものだ。私は、そうしたものが「環境」だと解釈する。

「ブルペンエース」という陰の“野球用語”がある。

 ブルペンでは、こりゃあ手が出ないわ……というほどのボールを投げるのに、いざ実戦のマウンドに上げると、途端にソワソワ、キョロキョロ……落ち着きを失って、球道は乱れ、コントロールを気にして腕が振れず、ボールを置きにいって「待ってました!」のメッタ打ち。

 ブルペンの雄姿とは別人のような不甲斐ない投球に、こうべを垂れてダグアウトに下がる。

 こうしたブルペンエースについて、「あいつはメンタルが弱い」のひと言で片づけてしまうのが常だが、実は練習環境に知恵と工夫がないからなのではないか?

 私はむしろ、そっちのほうが……と考える。

練習と実戦が違いすぎてはいけない。

 実戦のマウンドが「特別の場所」になってしまうから、投手はそこで動揺し、我を失う。

 練習のブルペンは、実戦のマウンドを「普通の場所」にするものでなくてはならない。そのための環境を、練習のブルペンに作ろう。

 オレ、こんなに投げ込んだのに……。 “量”を信じて、裏切られて肩を落とす前に、自分が本当の意味での「練習」をしてきたのかどうか、そこを振り返ってみよう。

 投手の自分と捕手、2人だけの世界。ブルペンがグラウンドから離れていれば、指導者もなかなか来ないし、選手たちの爆声も聞こえない。考えてみれば、こんな「ノンストレス」の空間もない。これで、捕手が優しいヤツで厳しい言葉も飛ばしてこなければ、こんなに快適な場所もないだろう。

 ところが、実戦のマウンドでは、打者が鬼の形相でこちらを睨み、審判が捕手の背後で目を凝らし、両チームのダグアウトからは40、50の鋭い視線を浴びて、スタンドだって、夏の予選の最後のほうから甲子園なら4万から5万だ。

 ダグアウトとスタンドのほうは、ブルペン練習では再現できないが、打者と審判役は誰かに頼んで再現できようし、頼まれたほうにしたって、貴重な機会になろう。

【次ページ】 ブルペンはあくまでも実戦のために。

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