月刊スポーツ新聞時評BACK NUMBER
稀勢の里引退で各紙が繰り広げた、
「秘話合戦」から何が見えるか。
posted2019/02/01 08:00
text by
プチ鹿島Petit Kashima
photograph by
Kyodo News
スポーツ界で何か大きなニュースがあるとスポーツ紙に掲載される記事が「記者の目」だ。
現場を取材している記者の見解が載る。今だから書ける話も解禁される場合がある。
1月の読みごたえで言えば「稀勢の里引退」。
引退発表の翌日の各紙は、歴代番記者による秘話合戦の様相であった。
「日刊スポーツ」は8ページを費やして稀勢の里引退を報じた。圧巻は3面のほぼすべてを使っての「とっておきメモ」。
稀勢の里を「'03~'04、'13~'17年」に担当した記者のコラムを掲載。
「何か話すとニッカンは漏れなく記事になるからなぁ。怖い、怖い」と稀勢の里によく言われつつも、「だが、あえて書かなかったこともある」という書き出し。気になる。
それは、「左腕はもう厳しかった。」
どういうことか?
「書かない」という判断はありうる。
《感動的だった17年春場所の横綱初優勝の後、協会に「左大胸筋損傷、左上腕二頭筋損傷で約1カ月」の診断書が出された。しかし、大阪から帰京後により詳しく検査を受けると、左腕は筋断裂していた。それも、手術をしようにも、できないほどの大けが。完治はおろか、10ある力のうち、6割出せればいい方だった。》
この事実をなぜ書かなかったのか。コラムには「その復活劇を、自分も信じたかった。」とあった。
政治家の番記者はオフレコでも社会のためになるとなれば書くという判断がある。しかしスポーツ選手(この場合は力士)と番記者の関係性では「書かない」こともあることがわかる。
たしかに第三者が不利益になるわけでないなら、復活を信じたいから書かなかったという理由に読者は納得する。この記者は通常は稀勢の里ネタを「よく書かせてもらった。中には困らせたこともあっただろう」とあるから、単なる馴れ合いの関係ではないこともわかる。この記事が大きく掲載された理由がよくわかる読後だった。