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稀勢の里を横綱まで導いた
「考えていい、悩んでいい」。

posted2019/01/17 14:00

 
稀勢の里を横綱まで導いた「考えていい、悩んでいい」。<Number Web> photograph by Takashi Shimizu

16日の引退会見で幾度も涙を流した稀勢の里。万感が込み上げた。

text by

佐藤祥子

佐藤祥子Shoko Sato

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Takashi Shimizu

 相撲人生にピリオドを打つ引退会見の場は、17年前、新弟子時代に汗と涙を流した相撲教習所だった。15歳の稀勢の里――萩原が、相撲人生のスタートを切った場所だ。

 教習所にはA、B、Cと3つの土俵があり、その実力により稽古土俵が割り振られる。A土俵には、高校相撲でならした菊次(琴奨菊)と梶原(豊ノ島)がいた。

 1期遅れて角界入りし、中学卒の相撲未経験者だった萩原はC土俵。当時、琴奨菊と豊ノ島の背中を追い掛けていた稀勢の里だったが、そのふたりが目を見張るほど、日を追うごとに強くなっていったという。

 引退会見時、相撲教習所での思い出を問われると、「早く強くなりたい一心で、早く大銀杏を結いたい、ただその気持ちだけでした」と言葉少なに振り返った。

「大いに考え、悩んでいいんです」

 小学生時代から野球一筋で、中学時代はピッチャーにして4番バッター。強豪校からスカウトの声が掛かるほどの実力者だったが、稀勢の里は14歳の秋に、すでに力士として生きる覚悟を決めていたのだという。

 思い返せば、稀勢の里の横綱昇進前、とある企画で、14歳の少年少女に贈る「とっておきの言葉」を選んでもらったことがある。稀勢の里が熟考し、紡ぎ出した言葉は、

「考えていい
 悩んでいい
 そうすれば自分がわかる」

 当時の稀勢の里が、その言葉の意味をこう説明してくれた。

「野球を続けても、自分の実力ではプロは厳しいだろうと思って、未知の相撲界に飛び込んだんです。自分を知っているようで、案外知らないもの。僕の場合、考え抜いて、悩み抜いて、やっと自分がわかった。等身大の自分が見えたんです。だから大いに考え、悩んでいいんですよ」

 横綱に昇進してからのこの2年、稀勢の里は、かつて己が発したこの言葉を十二分に噛みしめていたのかもしれない。

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