マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
高校野球が失った1人の「逸材」。
日大三高で小枝守監督と邂逅した日。
posted2019/01/29 08:00
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph by
Kyodo News
「はっきり言って! はっきり言って! この場に、小枝守監督の姿がないことが、残念でなりません!!」
1月20日、横浜商科大・佐々木正雄監督勇退の「感謝の集い」で、佐々木監督のご挨拶の中のこの一節は、ほとんど絶叫であった。
日本大野球部の3年後輩。後輩でも“敬意”を持ってお付き合いされた数少ない傑物だったという。
その叫びを聞いて、私は初めて、小枝監督のお加減がよくないのを知った。
そして、その翌日の訃報。肝細胞ガン、67歳の惜しまれるご逝去だった。
40年前、小枝監督と初めて話した記憶。
もう40年ほど前のことだ。私は小枝監督に、失礼なことをしてしまったことがある。
当時大学生だった私は、知人の息子さんの勉強と野球の“家庭教師”のようなことをしていた。その彼が中学野球ではちょっと上手くて、日大三高から誘いの声がかかった。光栄な話である。
しかし彼には彼なりの、高校野球のビジョンがあった。三高はお断りしようということになったのだが、ご両親は「私たちは、野球のことは何もわからないので……」と、代役として断りに行ってほしいという。
大学生ではあるが、母校の野球部の指導をしていた時期でもあり、肩書きだけは「野球部監督」だったので、ちょうどよいと思われたのだろう。とんでもない……分不相応の大役だった。
人に背広を借りて訪れた日大三高で、話の相手になってくださったベテランの部長先生に、ありのままの事情をお話しして、せっかくのお誘いをお断りする非礼を詫びた。
部長先生はむすっとした顔で黙って聞いておられた。確か小枝監督は、日大三高の監督になられたばかりの頃だったと思う。その時は、部長先生の後ろで、デスクワークに忙しくされていた。