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琴奨菊は相撲史に残る貴重な存在。
大関陥落した力士の苦闘の歴史。
posted2019/01/12 10:00
text by
西尾克洋Katsuhiro Nishio
photograph by
Kyodo News
「日本出身力士」というぎこちない言葉を目にしなくなって久しい。
日本人力士が2006年の栃東を最後に優勝から数年遠ざかり、国技館から日本人の優勝額が消えた。朝青龍と白鵬があまりに強く、その壁を破ったのは日馬富士であり、琴欧洲であり、そして把瑠都だった。モンゴル人力士とヨーロッパ系の力士が上位を席巻し、太刀打ちできる日本人力士はあの頃いなかったのだ。
そして、その空白を打ち破ったのは旭天鵬だった。モンゴル出身の彼は優勝した時は既に帰化していた。そのためその後の争点は「日本人力士」ではなく、日本出身力士の中で誰が優勝するか? ということに変わったわけである。
琴奨菊が優勝したのは、2016年初場所。早いものであれから3年経過した。
豪栄道がこれに続き、2017年には稀勢の里が2回、2018年は御嶽海、そして先場所は貴景勝が賜杯を抱いた。もはや日本出身力士の優勝が珍しいものではなくなった。
琴奨菊も、上位に帰ってきた。
2019年の見どころは、誰が時代を変えるのかというところなのだが、番付に目をやると横綱は3人、大関は2人が30代で、いまだベテランが上位を守っていることも事実だ。
そしてあの時歴史を作った琴奨菊もまた、上位に帰ってきた。
琴奨菊は優勝の翌場所に、稀勢の里の変化を受けてから勢いを失った。1年後に大関陥落。7回目のカド番を凌ぐことはできなかった。大関在位は32場所で、歴代大関の中でもかなり長い部類だ。
大関から陥落した力士が、その後に強さを保つことは難しい。現役を続けることも簡単ではない。年6場所制以降に大関に昇進した力士の中で、陥落後も現役を続けて関脇以下で引退した力士は13人いるのだが、今回は彼らがどのような軌跡を辿っているか追ってみたいと思う。