太田雄貴のEnjoy FencingBACK NUMBER
フェンシング日本選手権が大成功。
その時太田雄貴は、なぜパリに!?
text by
太田雄貴Yuki Ota
photograph bySports Graphic Number
posted2018/12/30 10:30
試合中、大型LEDディスプレイには心拍数がオンタイムで表示され、選手のテンションが『可視化』された。
理事最年少で、副会長に推挙される。
当然といえば当然ですが、今年の9月ごろまでは、私が試合当日は東京グローブ座の会場で、陣頭指揮を執るつもりで話を進めていきました。FIEの理事としては、12月7日にパリで開催が予定されていた理事会だけに出席し、すぐに東京にとんぼ返りすれば9日の本番に間に合うからです。
ところがウスマノフ会長が、前回の理事会(9月16日)で、私を副会長に推挙することを決めました。FIEの副会長に、33歳と理事の中でも最も若い僕が就任するというのは、大変なことだ、と思いました。
とはいえ2020年東京大会に向けての施策でもありますし、なによりもチャレンジしてみたい。引き受けない手はありません。でも、引き受けた場合は、パリでの理事会のあとに催されるさまざまな行事に出席して「顔見世」を行い、私がどういう人間であるのかを、世界のフェンシング関係者に、改めてきちんとプレゼンテーションする必要がありました。
悩みましたが、最後は「二兎を追うものは一兎をも得ず」ということで、10月に入ってからは、自分が全日本決勝の会場にいない、という前提で準備を進めていくことにしたのです。
私が不在、という状況にもかかわらず、ご協賛いただいたスポンサー様には、内密に事情をお伝えして、ご理解をいただくことができました。ここで改めて感謝いたします。
とはいえ、実際パリに行ってからも、東京グローブ座にいるスタッフと、携帯でやりとりをしながらさまざまな指示を行い、相談を受けていました。どれだけ準備をしても、不測の事態というのは起きるもの。ギリギリまで調整を続け、前日の夜はソワソワしながら寝たことを覚えています。
大会は東京で13時開始、パリでは朝の5時です。早朝に目を覚ましてからは、ずっと現地の映像を観ながら会場の様子を把握し、気がついたところがあったら携帯で現場に伝え、ときに指示をだしながら、決勝戦の進行を見守りました。グローブ座のスタッフは、それぞれに重責を担いながら、私がいなくても良い緊張感をもって運営にあたってくれたようです。
アスリートを犠牲にするのは絶対になし。
私がいなくても、大きなイベントを成功させることができた。
これは、とても大きなことだと思っています。
日本フェンシング協会、という組織は、「私ありき」の組織であってはなりません。今は私が会長を務めていますが、いずれは退任します。私がいなくても、今フロントで頑張っているスタッフが変わっても、すべてのイベントを構想段階から大会当日まで、しっかりと運営できるようなチームにしていかなければなりません。そのための経験値を組織を構成するひとりひとりが得ることができた。これは大きな収穫でした。
今回の大会のような演出を行うときに気をつけたのは、「アスリートファーストの精神に反するのではないか」と言われないような形で行うこと、でした。
我々があくまでも大事にしなければいけないのは、選手が最大限に力を発揮することを前提として、競技の魅力を観客により効果的に伝えることです。順番を間違ってはいけない。
オーディエンスファーストのための施策によって、選手のウォーミングアップの時間や空間、競技環境が不十分になってしまうような事態は、絶対に避けなければいけません。その上で新鮮な取り組みを行うからこそ、選手側も「フェンシングを発展させていく」ことに意識的になり、前向きに二人三脚で前に進んでいけるはずですから。
それらを念頭に置いた上で、次なるチャレンジに果敢に挑んでいく――「そう来たか!」とまた驚いてもらえる試みをしていくための土台に、今回の全日本選手権はなったのだと実感しています。