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さらば王者。F・アロンソ、
三大レース制覇へ――新たなる出帆。
text by
今宮雅子Masako Imamiya
photograph byMamoru Atsuta (CHRONO GRAPHICS)
posted2018/12/29 17:00
2017年のインディ500参戦では一時トップを走った。歴史上グラハム・ヒルしか達成していない三大レース制覇はなるだろうか。
“外様”扱いが続いたアロンソ。
翌週の中国GPで彼が勝利を飾ってチームにコンストラクターズタイトルをもたらしたとき、私たちは新チャンピオンがチームとの交信で歌う少し調子の外れた"We are the champions♪"に微笑み、新しい時代が来たことを確信した。
「カラオケ・タイムだったんだ(笑)。チーム全員で手に入れたタイトルだったから、あれ以上ぴったりの曲はなかった」
上海の空は晴れわたり、史上最年少のチャンピオンは屈託のない喜びに満ちていた――でも、それは歳月のなかで少しずつ塗り替えられた記憶でもある。当時のF1界の政治は常にルノーやアロンソを"外様"扱いした。サンパウロでチャンピオンを決めたときも、マシンを降りたアロンソが最初に口にしたのは「見たか!?」という反骨の叫びだった。
'06年にフェラーリが復調すると、あからさまな政治はさらに色濃くなる。ルノーもアロンソもしばしば理不尽なペナルティを科せられ、シーズン終盤の日本GPを迎えるときにはシューマッハーとアロンソが同ポイントで首位に並んでいた。
ブリヂストンvs.ミシュランのタイヤ対決最後の年。かつてないグリップ力はコーナー速度を高め、車体やエンジンに未知の負荷を強いるようになっていた。
シューマッハーとの戦いの記憶。
'06年の鈴鹿――5位グリッドからスタートしたアロンソは、レース序盤に2位までポジションを上げ、その後は首位シューマッハーとの間に5秒の間隔を保ち続けた。ピットからは、エンジン回転を上げて追いつくよう指示が飛んでいた。しかし何度も接戦を繰り広げた相手だから、アロンソにはわかっていたのだ――シューマッハーがアロンソを抜けないように、アロンソもシューマッハーを抜けない。とりわけ鈴鹿のようなコースでは、ミラーに映った相手を抑え込むのは難しくない。
アロンソが選んだのは、見えない距離から精神的なプレッシャーを与え続け、自らは徹底的にエンジンを労わって走る戦略だった。37周目のダンロップコーナーでフェラーリのエンジンが力尽きたのは、シューマッハーに起きた不運。しかしそれは、幸運を呼び込む"入り口"を最大限に開いて追走した勝負師のなせる技でもあった。
「タイトルを左右する重要なレースだったから、もちろん、僕はミハエルにプレッシャーを与えることに集中していた」
勝利の後のパドックで、メカニックたちが小躍りしながら横断幕を広げた。'05年に続くメッセージはWe will rock you――。