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2018年、ホンダF1活動が一枚岩に。
「檻から解き放たれた」開発能力。
posted2018/12/30 17:00
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph by
Getty Images
「1年前のいまごろは、F1をやっていて楽しいなんて言葉を出せる雰囲気なんてなかった。『この世界でホンダはこれからどうなるんだろう』。まったく光が見えない中で、不安しかなかった」
当時の心境を、そう述懐するのは、ホンダの山本雅史モータースポーツ部長だ。2017年末、ホンダのF1活動は大きな転換期を迎えていた。パワーユニットの性能をなかなか改善できず、長期契約を結んでいたマクラーレンから三行半を突きつけられる格好でパートナーシップを解消されたのだ。
'18年に新たにパートナーとなった相手は、チーム発足後わずか1勝しかしていないイタリアのプライベートチームのトロロッソだった。
もしまたも性能が改善されず、トロロッソの信用も失うようなことになれば、ホンダはF1活動そのものを見直さなければならないという状況に立たされていた。
そこで山本が下した決断は、組織の体制変更だった。
現場と開発のトップを分けた。
F1に復帰した'15年から、ホンダでは研究所の開発を指揮しながら現場責任者も兼任する「総責任者」が組織のトップに立っていた。これは研究所と現場のトップを同じ人間にすることで、すれ違いを発生させないのが目的だった。
ただし、2つの部署のトップを1人が兼務するやり方には問題があった。常にどちらかの部署でトップが不在になってしまうのだ。F1の開発は「日進月歩」ではなく、いまや「分進日歩」で休みなく前進している。その中で研究所のトップが日本と世界各国を飛行機で移動し続けている状況は、理想的とはいえない。
山本は総責任者というポジションを廃止し、現場のトップと開発のトップを2人に分けることにした。現場を任されたのが田辺豊治テクニカルディレクター。開発の拠点であるHRDSakuraを指揮することとなったのが執行役員の浅木泰昭だった。