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バドミントン世界1位の野心と我慢。
全日本連覇・山口茜の幅が広がった。
text by
矢内由美子Yumiko Yanai
photograph byItaru Chiba/AFLO
posted2018/12/21 10:30
12月2日の全日本決勝では奥原希望を2-1(21-16、17-21、21-11)で破り、2年連続3度目の優勝。
第1シングルスの難しさ。
「1位になってみたいと言ってきましたが、いざなってみると、積み重ねてきた数字で年齢のような感じかなと思いました。もちろんうれしかったのですが、何も変わらなかったというか」
はにかむような、そして少し困ったような顔でそう言った。
ビッグトーナメントが目白押しだった5月から8月にかけての時期、メンタルコントロールの方向性について、ある確信をもたらしたのが、団体戦だった。
'18年の山口は団体戦の第1シングルスとして起用された。高校生の頃から「団体戦が好き」としばしば語っていた彼女だが、日の丸を背負って第1シングルスを務めるという重圧は想像以上だった。
5月にタイで行なわれた国別対抗戦のユーバー杯。地元タイと決勝で対戦した日本は、山口がラチャノック・インタノンとの第1シングルス戦を制して勢いに乗って勝利し、1981年大会以来37年ぶり6度目の優勝を果たした。
だが、山口自身には「大会の序盤は良いパフォーマンスをできていなかった」という感覚があった。敗れたのは台湾との準々決勝で当たった戴資穎との試合だけだったが、本人としてはそれ以外も満足のいく内容ではなかったのだ。
第1シングルスの責任を背負い、勝利という結果をターゲットの最前線に据えることに、迷いを感じた時期だった。
アジア杯で1勝もできず。
日本女子が金メダルに輝いた8月のジャカルタ・アジア大会の団体では、さらなる重圧に直面した。決勝までの全試合で山口は1勝もできなかったのだ。
「他の日本選手が強いので、トップシングルスだからというのはあまり考えていなかったのですが、しっかり流れはつくりたいと思っていたので、そういう意味では、うまくいかないときにどうしよう、となってしまった」
金メダルにわく仲間の横で笑みを浮かべはしたものの、もやもやした思いがなかったわけがない。