松岡修造のパラリンピック一直線!BACK NUMBER
松岡修造が訊く! パラ卓球・吉田信一、
崖っぷちだらけの上京物語。
posted2018/12/09 08:00
text by
松岡修造Shuzo Matsuoka
photograph by
Yuki Suenaga
コーチが使っていた車椅子を借り、吉田さんと白熱のラリーを展開。そして、卓球台を挟みながらの対談は、一気に白熱していった。
松岡「吉田さんは、自分の弱点や自分の武器についてはどう考えていますか。たとえば、ライバルに、自分の技や弱点のことを、本番まではあまり教えたくないですよね」
吉田「そこはちょっと違います。教えるというか、出しちゃいます。今の壁を突破して、次の壁に行くために必要だと思ったら、全部出していきます」
松岡「全部、出す?」
吉田「たとえば、私がリオパラリンピックに出場する前年までは、自分のプレー動画は隠すことなくすべてYou Tubeにアップしていました」
松岡「どうして? あげる必要ないじゃないですか」
吉田「自分の弱点をさらけ出して、あえてそこを攻めてもらうんです。本番でそこを攻められて、何もできなかったという後悔はしたくない。成長して弱点を克服するだけでなく、そこから次の策を考えるためにもそうしています」
松岡「それは、世界を見据えているからこそ?」
吉田「そうですね。目論見どおり、海外の選手が私の動画、けっこう見てくれていたようですね。海外で試合をすると、やっぱりそこを狙ってきたりする。でもそこへの対応の準備はちゃんとしていますからね」
松岡「卓球はこのところ中国がずっと強いですが、パラ卓球の世界でも、やっぱり中国が強いんですか」
吉田「そうですね。パラリンピックの本番に合わせてくるのは中国です。世界選手権で負けても、それはパラリンピックで勝つための材料、としか見ていない。ただパラリンピックではやたらと強い。コーチ陣やスタッフ陣もしっかりしているし、障害者施設も充実しています」
松岡「リオパラリンピックのとき、吉田さんも中国選手との対戦があって、かなり競り合って、あと1本のところで負けたんですよね」
吉田「そうでしたね。悔しい思いをしたと同時に「これが今の実力」と思い知らされた、というか……」
吉田信一(よしだしんいち)
1965年12月13日福島県生まれ。高校時代にバイク事故で車椅子生活となる。1994年に車椅子卓球を始め、6年後に上京、これまで車椅子卓球のクラス3で通算14度の日本一に輝く(現在8連覇中)。2016年リオ・パラリンピックに出場。2020東京パラリンピックへの出場を目指し、日々練習に励んでいる。NICT(国立研究開発法人情報通信研究機構)勤務。
リオパラリンピックの話の前に、松岡さんは吉田さんにどうしても聞いておきたいことがあった。彼はどのようにして、パラ卓球と出会い、ここまで続けてきたのか、そのライフストーリーを、知りたい。