松岡修造のパラリンピック一直線!BACK NUMBER
松岡修造が訊く! パラ卓球・吉田信一、
崖っぷちだらけの上京物語。
text by
松岡修造Shuzo Matsuoka
photograph byYuki Suenaga
posted2018/12/09 08:00
働きながら、50歳を超えた現在も、吉田信一選手は世界トップレベルのプレーを維持している!
日本一になっても活動は苦しい!?
松岡「でも、すでに日本一だったんですよね。選手活動をサポートするという声はあったんじゃないですか。周りから」
吉田「そんなの当時はまったくありませんでしたよ。いろいろな企業が障害者を雇ってくださったり、さまざまなサポートをしていただけるようになったのは、2020年の東京五輪が決まってから。車椅子テニスの国枝慎吾さんだって、一時期苦労されてましたよね。自分も練習の時間をある程度取れて、海外で試合ができるようになったのはずっと後の話です。真剣にパラリンピックを目指したいと思ったのは……東日本大震災の後ですね。福島のために何ができるんだろう、と考えたら、僕が世界で頑張ることで勇気や元気を届けることができるかもしれない、ということで」
松岡「当時44、45歳ですか」
吉田「そうですね」
松岡「もうコーチの小川さんには会っていたんですか」
吉田「コーチとしてではなく、障害者スポーツセンターのスタッフとしてはお会いしてました」
松岡さんは、2人の傍でじっと話を聞いていた小川真由美コーチに向き直ると、質問をぶつけた。
松岡「吉田さん、変わったひとだと思ったでしょ」
小川「そうですね、なにしろ髪は金髪だし(笑)。週末になるとやってきて、卓球にすべてを注ぎ込んでいるんだなと思うくらい、必死になってやっているのを見ていました。
吉田 そのころは江戸川区に住んでいて、多摩の練習場まで車で通っていたんですが、朝の首都高は混んでいる時は、4時間から5時間かかってしまうんです。東京を横断するだけなのに」
松岡「なんでまたそんな遠いところに住んだんですか」
吉田「社宅が離れてたので。逆に時間がない方が集中できたりもするので」
松岡「崖っぷちタイムをわざわざ作ってる(笑)。でも、車で4、5時間って、腰も痛くなるし、体にも良くないですよ」
吉田「渋滞にはまって、あまりに時間があるもんだから、車の中で素振りしていたこともありましたね(笑)。隣から見たらバカだと思うかもしれないけど」
松岡「もし僕が目撃したら、そう思ってしまう(笑)」
吉田「ハハハ。でも、センターで午後8時半まで練習すれば、帰り道は空いてるので40分くらいで帰れましたよ」
松岡「そんな状況でも、楽しんでいたんですね」
吉田「集中してできるという意味では、ね。でも、不満はやっぱりありました。もう少し時間があれば、とか、生活環境面でのこととか」
松岡「だって吉田さん、日本一なんですから。もっと厚遇してくれても良いのにと考えますよ、僕なら」
吉田「まあ、日本一と言っても、さきほど申し上げたようにクラスが11もあるんです。つまり日本一が11人いますから、しょうがないです」