松岡修造のパラリンピック一直線!BACK NUMBER
松岡修造が訊く! パラ卓球・吉田信一、
崖っぷちだらけの上京物語。
text by
松岡修造Shuzo Matsuoka
photograph byYuki Suenaga
posted2018/12/09 08:00
働きながら、50歳を超えた現在も、吉田信一選手は世界トップレベルのプレーを維持している!
「ボクシングで言うとミドル級かな?」
松岡「吉田さんのクラスはボクシングにたとえるなら何級ですか」
吉田「うーん、どうだろう……とにかく、世界中で一番人数が多いクラスで、勝つのが難しいです。層が厚い」
松岡「だったらミドル級かな。では、ストレートにお訊ねしますが、障害者スポーツの世界、なぜもっと良い環境にならないんだろう、とか思わないですか?」
吉田「思いますよ。でも、やっぱりカテゴリーも多いので、手を挙げる企業はなかなか多くなりませんね。メディアに取り上げられることも少ないですし」
松岡「障害の重さ別にカテゴリーがあるとか、パラスポーツにも世界選手権があることとか、一般の人は知りませんよね……。
リクルート系の企業に勤めて、マシンと打ち合う生活が、どれくらい続いたんでしょう」
吉田「その会社には6年いました。辞めた原因は、2度も入院するような状況が生まれてしまったから。勤務時間が長いため、ずっと座っていると、寝たきりの方がよくなる床ずれ(褥瘡)がお尻にできてしまったんです。胸あたりから下の感覚がないので、お尻の感覚も当然ない。だから痛いことがわからない。褥瘡って熱も出ますし、悪化させて菌が全身に回ったら死に至るような危険もあって、入院せざるをえませんでした。それを経験すると、さすがにこの長時間の座り仕事を続けるのはきついかなって」
松岡「長時間ドライブもよくなかったんじゃないですか?」
吉田「車にはちゃんと座布団を敷いて、お尻も上げられたので、そういうケアはしていたんですけど、仕事となると気持ちがガッと入っちゃうので、ほとんど休憩も取らなかったんですよね。自己管理ができてなかった。2回目の手術の時は座骨を削ったり、もう皮しかなかったので太ももから肉を持ってきたり。お医者さんから『次はもう危ない。そうなったら卓球を辞めて下さい』と言われたので、それからより注意してケアするようになりました。
会社的にも、ちゃんと休憩は取って下さいね、と声をかけてはくださっていたし、休憩室も車椅子のまま後ろにひっくり返って横になれるようにしてもらったり、いろいろ環境を改善してくださったんですけどね」
松岡「競技面のことも、何か影響していたり?」
吉田「そうですね。やっぱり競技面でもうワンランク上に行きたいという欲が出てきて。大阪で国際大会が開催されたときに、はじめて海外のトップ選手と対戦したんですが、アジア圏って強いんです。まだまだ外国には強い人がいっぱいいるんだと気づかされ、海外遠征にも行きたくなりました」
松岡「頑張って働いて、お金もなんとか貯めて」
吉田「近場ですけど、台湾とか、上海とか。遠征しているとそれなりにランキングも上がってきますし、新たな欲も出てくる。そこで思い切って、とりあえずは1年間、会社を辞めて卓球に打ち込もう、と決めました」
松岡「辞めちゃったんですね……」