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大岩剛監督が褒める鹿島の成長度。
ACL決勝に進出し「非常に伸びた」。 

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寺野典子

寺野典子Noriko Terano

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photograph byAFP/AFLO

posted2018/10/27 16:30

大岩剛監督が褒める鹿島の成長度。ACL決勝に進出し「非常に伸びた」。<Number Web> photograph by AFP/AFLO

鹿島アントラーズの監督にかかるプレッシャーは強い。その中で、大岩剛は大きなことを成し遂げようとしている。

「まだ決勝があるからね」

 試合後の大岩の言葉どおり、失点後に選手たちはピッチ中央で円陣を組んでいた。守備の修正をしたのはもちろん、1点を奪って2-3にできれば試合は延長戦になる。「まずは1点」と意識を統一した。

 64分、西大伍が鮮やかなトラップから1点を返してゲームを振り出しに戻すと、82分には鈴木が粘り強いキープでセルジーニョの得点機を演出。3-3と2試合合計で優位に立った。

 77分にボランチも務める永木亮太をサイドハーフへ、84分にはサイドハーフの土居真聖に代えてセンターバックの犬飼智也を投入。

 93分にピッチへと送られた小笠原満男は周囲の選手たちに大きな声で指示を出し、安定感と落ち着きをチームにもたらした。

 しかし、気迫がみなぎるあまりボールに対してポジションが被ることもあった。たとえ1点失って3-4で敗れても、アウェイゴール数の差で勝ち抜けは決まる。それでも、負けて決勝へ進むわけにはいかない。

 試合終了の笛が鳴る。3得点目が決まっても、鹿島は誰ひとり力を抜くことはなかった。しかし、その重圧から解放された鹿島の選手たちは、お互いをねぎらうくらいで、歓喜を爆発させる空気はなかった。

 ある選手は「ほっとしたという気持ちが大きい。まだ決勝があるからね」と語った。

17年前、水原に敗れた記憶。

 17年前の2001年5月、水原でのアジアクラブ選手権決勝リーグ。大岩は、ジュビロ磐田の一員としてそのピッチに立っていた。

 ACLの前身大会となるアジアクラブ選手権で、磐田は1999年に優勝している。そして大岩が加入した2000年には準優勝。そして2001年、準決勝を延長Vゴールで勝ち上がって3季連続で決勝に進出した磐田は、中2日で水原との決勝戦に挑み、0-1で敗れた。

 このとき大岩剛が、微動だにせず優勝カップを受け取る水原の選手たちを見つめていたことを覚えている。会場の水原総合運動場は施設は古く、控室も設備もひどいものだった。磐田の選手たちはシャワーも浴びず、一刻も早くホテルに戻ろうとロッカールームを出てきたが、バスへの移動ができずトイレのひどい悪臭がするスペースで待つしかなかった。

「そうですね。そうでございます」と監督になった大岩が笑う。ミックスゾーンの端っこで見せる笑顔は選手時代と変わらない。

「水原には、あのとき負けたイメージがあるんじゃないかと思ったんですが」と問えば、「それはなかった。でも、水原には意外と縁があるよね、もちろん、アジアクラブ選手権で負けたのもそうだし、勝った試合もあるしね。ゴールを決めたこともある(2009年鹿島時代)。今日、ソ・ジョンウォンさんと『日本へ遊びに行ったら飯でも行こう』という話をした。GKコーチのイ・ウンジェさんも戦った相手。そういう意味でも水原三星には親近感があるよね」

 大岩はソ・ジョンウォンとは2001年に、イ・ウンジェとは2009年に戦ったことがある。アジアサッカーを牽引した選手たちが指揮を執り、再びアジアの舞台で対戦したのだ。

【次ページ】 監督が教えすぎない、という思想。

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